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恥ずかしい僕の人生ひっさげたりかくしたり

 投稿者:関本 ぶりき  投稿日:2008年11月16日(日)01時09分6秒
   何を恥ずかしいとするかは人によっては変わってくる。
 羞恥心というのは、日常との乖離から生まれる。
 裸で日常を暮らすのが当たり前の部族の方々にTシャツを渡すと、その部族の方々からは、Tシャツを着ることが恥ずかしくてしょうがないという意見がでるそうだ。
 日常の根底に流れる文化からの乖離が羞恥心を生むのかもしれない。

 文化ってのは、極端にいうと一人一人違う。
 乱暴に、生活、思考、嗜好の集合体を文化とするなら、一人一人ちがって当然だろう。女子高生がカラオケで歌う曲と、50歳の男性がカラオケで歌う曲がちがうようなものである。女子高生が「マイウェイ」を歌うのを恥ずかしがるだろうし、50歳の男性が青山テルマの歌を歌うのは恥ずかしいだろう。

 で、私の生きる文化圏では、「ママ」という言葉が非常に恥ずかしい。
 「ママ」である。百歩譲って、母親を「ママ」といえるとしよう。だが、スナックの女性店主を「ママ」と呼ぶには、かなりの羞恥の壁を突破しなければならない。
 スナックの女性店主を「ママ」と呼ぶか、「サルのおけつはまっかか」と書いたプラカードをもって国会議事堂周辺を一人でデモ行進するか、どっちが恥ずかしいと問われれば、一寸の間もなく、「スナックの女性店主をママと呼ぶほうが恥ずかしい」と答えるだろう。

 ママってのが恥ずかしく感じるのは私だけだろうか。
 「ママレモン」「ママさんバレー」「でた、ママの18番、津軽海峡冬景色」
 上記のワードをきくと、なんかしらんがにやけてしまうのである。

 不思議と、「パパ」に対してはそこまでの恥ずかしさがない。半濁音が恥ずかしさを緩和する役割をはたしているのだろうか。
 では、ためしに「ぺぺ」にしてみよう。
 「ぺぺレモン」「ぺぺさんバレー」「でた、ぺぺさんの18番、津軽海峡冬景色」
 なんだか、穂積ぺぺさんがバレーをしたり、津軽海峡冬景色をうたっているような絵が頭に浮かび、それはそれでにやけてしまう。穂積ぺぺさんを知らない人は、自分で調べるように。現代社会、なんでも容易に答えが用意されていると思っていると、大きな間違いである。

 パパス&ママスというヴォーカルグループがいる。実際は男性2人、女性2人のヴォーカルグループなのだが、ここでは勝手解釈で「スナックのママが100人体育館に集合して、津軽海峡冬景色を歌っているのを100人のパパが見守るグループとしよう。
 ね、なんだがにやけるでしょ。
 俺だけか?
 


3番をつくりたいかたは勝手にどうぞ

 投稿者:関本 ぶりき  投稿日:2008年11月11日(火)23時58分22秒
編集済
    ラウンジとスナックはどうちがうんだろうか。
 それは、オーナーが
 「うちはスナックだあ」
 とおもっているか
 「うちはラウンジだああ」
 とおもっているかの違いでしかないのではなかろかしらんと、いいちこ飲みながら考える。

 事の発端はアンルイスのウーマンという曲を思い出したことにある。
 「あの日あなたと踊ったドレス、冬の海へと流しにきた」
 とアンルイスは歌う。
 なんともドラマのような行為である。
 アンルイスの立場になれば、物語が帯びることを禁じえないほどに、ドラマチックな恋、そしてその終わりだったのだろう。
 しかし、かつおの一本釣り漁をしているおっさんにとってはたまったものではない。 「おおおい、おおい、おおい、この変で女の人死んでるんちゃうか、ドレス、ドレス釣れたがな」
 となることが約束されている。
 網を用いた漁だと、物理的困難が待ち構えている。
 「だれや、ドレスなんか海流しやがって、網にからまってとれへんがな」
 となることが約束されている。

 ドレスである。
 私とドレス。ううううん、私はドレスと関わることなく生きてきた。
 パーティーと呼ばれるものに出席したことがないし、ドレスをきた方々が集まる店にもいったことがない。

 「仮免許の講習はドレス着用でないと受講できません」
 てな自動車教習所で免許をとるハメになっていたら、おのずとドレスを着用していただろうが、幸か不幸か、普段着でも仮免講習を受講できる自動車教習所で免許を取得した。
 え、中にはそんな教習所もあるのと、教習所選びに固くなるかたがいたら困るのでいっておくが、そんな自動車教習所はない。ないはずだ。

 で、私が今ドレスの方と接することが可能な場といえば、クラブ、キャパクラ、ラウンジ、スナック、であろう。順番は価格順である。たぶんあっているだろう。
 私はスナックにいったことはないが、昼喫茶店、夜スナックの店の喫茶店時には行ったことがある。これはスナックにいったことになるのだろうか。ソ連時代にはいったことがあるが、ロシアになってからは行ったことがない、てのと微かに同じ臭いがするが、きっと、それは私の鼻がどうかしているのだろう。

 ドレスに関わりはないが、スナックには関わりがある。
 何度も記述しているとおり、足を運んだことはないのだが、スナックの女に関する歌をつくったことがあるのだ。私は楽器のひけないシンガーソングライターなのである。というか、人間暇ならなんらかするのである。暇を生かしてのなんらかの一つにオリジナルソングつくりというのがあるのだ。

 「スナックの女が転んだよ、つっかけがどっかにとんでった、わびしいいねえええ」
 以上で一番は終わりである。
 「ラウンジでの女が・・・・・」
 2番はスナックがラウンジに変わる。あとの歌詞はまったく同じである。
 
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ポン酢醤油のあるうちさ

 投稿者:関本 ぶりき  投稿日:2008年11月 9日(日)15時08分2秒
編集済
   幸せの定義ってのは、ないに等しい。なぜかというと、幸せなんてのは、概念にすぎず、極端な話、土砂降りの中、傘なしで40キロあるいたとしても、その人が幸せだなとおもえれば、それは幸せなのである。
 幸せとしましょうよ、きりがないからってのがある。人間、8時間の睡眠と8時間の労働、8時間の余暇があれば幸せとしましょうという考え方がある。私はそれに大いに賛成なのだが、どうしても、私は眠たいに人間なのである。だから、こんなことを考える。
 だらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだら、膀胱の限界にたっするまで、眠りについて、膀胱の限界とともに、トイレへと立ち、そして、また布団に入る。
 いいでは、ないか、実にいいではないか。

 寝起きというのは、どこかしか不幸せだ。不幸せというには大げさだが、睡眠という快楽からの脱却は苦を伴う。
 私の知り合いは毎朝小さい声で、こうつぶやくという。
 「私はルイ14世である。これから、馬にのって猟にでかけなければならない」
 そして、毎朝思うそうである。「俺はルイ14世ではない」と。
 一見なんだねそれはてな行為だが、彼には彼なりの理屈があるらしい。
 「一瞬でも、そうだ、俺はルイ14世だ」と自分の言葉に得心してしまう自分がいたら、その日の自分はかなり、かなりのところまできているので、会社にいかなくていいことにしてる、とのことであった。自分の精神の度合いをはかってるのだそうだ。
 ま、確かに、自分をルイ14世だとおもっていまったら、会社などにいってる暇はない。とりあえずは、病院だ。
 毎朝それをおこなうようにしてから、不思議と会社をサボることがなくなったそうだ。

 冬である。やはり冬の布団は幸せだ。幸せを感じるには、生活に少しの苦がないと、感じにくいのかもしれない。

 私は昔、昔といっても、21、2歳の頃、ドブにはまった。首ぐらいまでの深さのドブである。ドブから出たとき、幸せとかんじたろうか。
 苦からの脱却が幸せとするなら、そのとき、とてつもない幸せをかんじなければならないはずだが、そのときはただただあほらしかっただけだ。

 幸せは気楽な設定値方がいい。
 なぜなら幸せがやってきやすいからだ。
 明日は、ビッグコミックスピリッツの発売だ。いつものラーメン屋はいつもの味がした。うちの親父がまた猪をつかまえてきた。30秒ぐらいでつづける小便をだした。
 実に幸せではないか。
 
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京都にいたときは小福とよばれたのおおおお(現桂福楽さん)

 投稿者:関本 ぶりき  投稿日:2008年11月 7日(金)02時04分15秒
   日本においての人名のことである。
 人名は姓名で構成される。
 福本豊さんならば、福本が姓で豊が名である。
 で、人は人を呼ぶとき姓で呼ぶことが多い。
 「弘美、弘美、診察室におこしください」
 なんて、病院はない。大概が苗字で人を呼ぶ。

 タレント、アーティスト、ミュージシャン等を名で呼ぶことがある。
 藤井フミヤならばフミヤ、吉田拓郎ならば拓郎、となる。
 これ、苗字で呼ぶと、かなり違う趣になる。さらに敬称をつけると、かんなりかなり違う趣になる。
 「藤井さんのベストアルバム」
 「吉田さんの45周年ツアー」
 普通の人でないか。実に普通の人ではないか。となる。
 藤井さんはアートにも長けたかたらしい。フミヤアートと呼ぶそうだ。藤井さんアート、のほうがいいのではないかと氏に提言したいが、足を運んでまで、提言しにいこうとは思うわない。

 愛らしさ、かわいらしさを売りにする有名人には、下の名前ではなく、愛称で呼ぶことがある。
 キョンキョン、ガッキー、エトセトラである。
 小泉さん、新垣さん、では、愛らしさがでてこないのは確かである。
 キョンキョンさん、ガッキーさんとなると、関係性がみえてこないではないか。親しいのか、他人行儀なのか、愛着があるのか、ないのか。

 ガッツ石松さんは「ガッツさん」と呼ばれる。
 ガッツさんてのは、なんだ、ガッツさんてのは。敬っているのか、馬鹿にしているのか、わからないではないか。
 同じボクサーでも「ファイティング原田」は「原田さん」と呼ばれているのはなぜだろうか。レパード玉熊も確か、玉熊さんと呼ばれていたように思う。レパード玉熊をだれが覚えているのだろうか。
 ジャイアント馬場をジャイアントさんとは呼ばないし、アントニオ猪木をアントニオとは呼ばない。
 私の知り合いのパフォーマーにクリスタル大坪さんという方がいるが、私はクリスタルさんと呼んでいる。なんだ、クリスタルさんってのは。違和感まみれでそう呼んでいたが、いつのまにか当たり前にクリスタルさんと呼んでいる自分がいる。

 私は関本ぶりきと言う名でコント屋として活動しているが、ぶりきさん、ぶりき君、ぶりきと呼ばれることが多い。あまり、関本とはよばれないのはなぜだろう。
 たとえば、関本イボジという名前でも、イボジさん、イボジ君、イボジと呼ばれるのだろうか。
 いっそ、関本佳史で活動しようかいな。きまりました。私は関本佳史で活動すると、深夜二時、そういう思いにいたる。
 
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住宅街の放物線、2

 投稿者:関本 ぶりき  投稿日:2008年10月30日(木)23時57分34秒
   平日の真昼間、二軍の試合を見ている人々はさまざまだ。いまどきの若い人間もいたし、孫をつれてきているじいさんもいた。日傘をさすいかにもスナックな女性ときている中年男性、上半身裸になって体をやいている男、スコアブックをつけている近鉄電車の関係者とおぼしき男性、野球がすきでしょうがないんだろうと思われる男二人つれ。
 野球がすきでしょうがないんだろうと思われる男二人つれはどんな風貌であったか。年齢不詳、鉄道マニアのようないでたちで、寝癖をつけたままで外にでる、そういう男達であった。
 「こいつもしっかりせなあかんで、な、5年前のドラフト一位が二軍の試合の敗戦処理やもんな、今年ぐらいで自由契約ちゃう」
 「な、ほんまや、しっかりせんと、プロをこえたノンプロっていう肩書きで入団したのにな」
 と寝癖二人は語っていた。
 「しかっりせなあかんのは、寝癖くん、お前ら自身や」
 と私は思いながら、5年前のドラフト1位が打たれるのをみていた。
 稼ぎが人間の価値ではないことぐらいはしっているし、彼らを否定する気など毛頭ない。
 ただ、ただ、である。おそらく、5年前のドラフト1位のほうが、その二人やりも
しっかりしているだろう。当たり前だが、私とくらべても5年前のドラフト1位のほうが
しっかりしている。
 2軍にしろ、プロ野球選手である。プロ野球は安定しない仕事であるにしろ、稼ぎは先の二人よりもはるかに上だろう。おそらく二人は月7万円前後のバイトで細々とくらしているだろうし、俺もそうだった。彼らはもてないだろうし、私ももてない。5年前のドラフト1位はわれわれよりもはるかにもてるだろう。それは、スーパーコンピュターと100円均一でうってる電卓ぐらいの差がある。稼ぎしろ、異性との交遊にしろ、である。

 しかし、しかし、こいつもしっかりせなあかんで、な、5年前のドラフト一位が・・・といってしまうのである。たぶん、私も野球が大好きなら、いっているだろう。

 大学時代、授業に出ず、野球をみていた頃は、ここにいる人たちは平日の昼間に何をしているのだろうと思っていた。大学を卒業し、失業者の身となって野球をみていた頃は、平日の昼間に野球をみているのは俺とよくにた人、すなわち俺と近しい人なのだと悟った。

 はっきり二軍の選手を覚えているわけではないが、それからすぐに一軍の試合で大活躍していた選手もいた。当たり前といえば当たり前なのだが。そういう選手を夜テレビでみかけると、なんかうれしかった。

 平日の昼間の藤井寺球場の独特な雰囲気。
 私が自称舞台屋としておこなっているコントは、あの雰囲気がだせればなんてことをうっすら、ほんとうっすらおもいながらコントを作っている。

 ただ、あなたの青春を返しますと神様にいわれても、「返さないでください」と神様に懇願するだろう。上記のような青春を好き好んで、再びおくりたいわけがないではないか。
 

住宅街の放物線、1

 投稿者:関本 ぶりき  投稿日:2008年10月30日(木)23時29分59秒
   青春とは何か。てな青臭い書き出しをしたが、これ青春ってのはわからない。青春を返せなどというが、私はいわゆる青春とよばれる頃、返すも返さないもないことに時間を費やしていた。
 高校の終わりから、23、4歳まで、藤井寺球場で午後を過ごすことが多かった。その頃の藤井寺球場は、近鉄バファローズ主催の一軍の公式試合は行われていなかった。ゆえに、二軍の試合である。
 二軍の試合は300円で入場できたし、途中入場なら只ではいれた。

 私はそこまで野球が大好きというわけではない。好きではあるが、それなりにというレベルだ。それでも藤井寺球場に行っていたのは、安さもあったし、暇という要素ももちろんあった。

 二軍の試合は一軍の試合よりも、大げさにいうならば人生を感じた。

 八月のある試合。外国人選手、八月の時点で二軍の試合にでている外国人選手がホームランを打った。
 シーズン終了間際の八月の終わりに二軍にいる、外国人選手である。おそらく、あのホームランは来期の契約には結びつかないだろう。解雇が目に見えていたとしても、彼は来た球を打つという野球本能に突き動かされ、ホームランを打った。
 あの、ホームランには、物語があるようにみえたのだ。ありまくるように見えたのだ。
 藤井寺てな大阪のけったいな街で、住宅街のど真ん中というけったいな球場で、アメリカからきた彼は、ホームランを打ったのだ。

 昔、一軍で活躍していた選手が二軍の試合であいかわらずのグラブさばきを披露していたが、足はむちゃくちゃ遅くなっていた。そこにもやはり物語を感じるのだ。

 と、青春を能天気な屈託、屈託まみれの能天気ですごす俺は、それを感じていたのだ。なんとなく、かんじていたのである。
 

告知

 投稿者:関本 ぶりき  投稿日:2008年10月27日(月)23時51分43秒
編集済
  10月29日『OWARAI! Battlefield』
出演 さまざまな方々
場所 難波千日前トリイホール
開場 6:00PM/開演6:30PM
前売 800円/当日1000円

11月1日『エスクお笑いバトル』
出演 さまざまな方々
場所 道頓堀極楽商店街中戎座
時間、11時半から7時ごろまでの5〜7回公演
 当日のみ500円、別途入館料必要
大人(中学生以上) 315円
小人(小学生) 210円
幼児(小学生未満) 無料

デリートエンターテイメント主催ライブ「THIRD STAGE(サードステージ)」
日時:2008年11月2日(日)開場18:45 開演19:00
場所:ロクソドンタブラック
前売:500円 当日:800円
JR・地下鉄「天王寺」駅より徒歩10分
地下鉄谷町線「阿倍野」駅より徒歩2分
※ケンタッキー横の小さな路地に入った先にあります。見落としやすいのでご注意下さい。
出演者:王、ささえとうき
ゲスト:どんぐり兄弟、もやしめじ、センメンキ、パプア。、トマトキャット、松尾俊明、クリスタル大坪、その他現在追加ゲスト調整中です。
MC:両口屋是清

 こられに私が出ることになっています。
 よろしければたのんます。
 

バースデーはんぺん、ケーキじゃなくて、君の家でははんぺんだったのか、そうか

 投稿者:関本 ぶりき  投稿日:2008年10月27日(月)23時38分32秒
編集済
   「常識でかんがえればわかるだろう」
 この言葉はある種の思考停止を意味する。別段、この言葉がわるいとかそういうことがいいたいのではない。そういう面もあるといいたいのだ。
 「常識」で考える。それがいかに常識か、なぜ常識たりえるのか、そして、これが常識とできるか否かをあなたに説明します、説明に納得できなければもう一度かんがえてみんましょう、てな手続きを抜す。抜かすというのは、それは常識である、ゆるぎようのない常識である、故にあなたもこれが常識だとみとめなさいといっているようなものである。
 あくまで、半ばだが。

 「非常識で考えてみろ」
 という人はあまりいない。なぜなら、非常識には切りがないからだ。

 「墓石にカレーをかけてみる」
 「カレーにスリッパをいれてみる」
 「スリッパでエベレストに登る」
 「喫茶店でブルーマウンテンとエベレスト、くださいといってみる」
 「あの喫茶店で麻薬の取引がおこなわれています、今度一緒にみにいこう、とデートに誘う」
 エトセトラ、エトセトラ、

 上記のような極端な非常識には、あまり意味がないし、極端の非常識はきりがない。そんなこと考えていては、時間がいくらあってもたりない。現に私は上記のようなことをイミダスと同等のページ数かける自信がある。その自信はきっと、なんら建設的でない自信であろうことだけは確かである。

 いいところをつく非常識、それはときとして、既成概念にとらわれない、やら、柔軟な発想という言葉に変換される。

 既成概念ってのは、文化の蓄積ではなかろうか、そして、その文化ってやつに横槍をいれるのが、非常識であり、やりの入れ方によっては、その非常識に賛同する人がいる。
 だれも賛同しない非常識。
 どうしても、どうしても、どうしても、時間をもてあますならば、だれも賛同しない非常識をかんがえればいい。
 暇つぶしに海をみに、なんていう人がいるが、海をみていても心が洗われるだけです。いっそ、心をあほらしいにつけてみればいいのです。
 なにがいいのかはわからないが、少なくとも、非常にコストのかからない暇つぶしであることだけは間違いないのです。
 
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モスキートン級の立場を少しは考えてみよう

 投稿者:関本 ぶりき  投稿日:2008年10月23日(木)01時53分15秒
   いやあ、もう、いや、いややああああと言いたくなるほど、肩が凝っている。
 いやあ、もう、いや、いややああああと言いたくなるほど、肩が凝っているので、とりあえず、いやあ、もう、いや、いややああああと言ってみた。すると、どうだろう。驚くほど、状態に変化がない。当たり前だ。いやあ、もう、いや、いやああああといえば、肩こりが解消されるなら、ピップエレキバンの需要がなくなる。

 とりあえず、禁煙するというのはどうだろうと、とりあえずでは実行しにくいことを考えてみた。タバコはおそらく、血行によくない。血行によくないと、肩が凝る。肩が凝ると物事に集中できないし、気も穏やかではなくなる。
 てな文章をタバコをすいながら書いているのである。禁煙する気が皆無に近いことがはっきりでわかる。

 タバコが1000円になるかも、という話を聞いたことがある。これこれ、まちたまえ、日本政府君とヘビースモーカーの私は思うのだ。物の価格というのは、需要と供給、または、コストと利潤によってきまるのではないのか。それを日本政府君は基本価格に税金を乗せて1000円てな価格で売るかもしれなくてよ、なんてことをいってるそうではないか。
 枝雀さんの言葉をかりてこういおう。
 「ばか」

 ヘビースモーカーとはよくタバコを吸う人のことをいう。

 うちの父親は腹式呼吸が活発でスターウォーズのダースベーダーのように「スーホー、スーホー」いいながら呼吸する。

 私の父はとても活発に呼吸します。
 を英語で

 マイファーザー イズ ヘビーダースベーダー、となるかというと。
 ならない。
 なぜなら、ヘビーダースベーダーならダースベーダーが基準となり、ダースベーダーより呼吸が活発であったとき、つまりダースベーダーを超えてはじめてヘビーダースベーダーたりえる。つまり、私の父はダースベーダーを超える息づかいでないとならないのだが、あんなにはスーホースーホーいわない。いうならば、リトルダースベーダーだ。いうならばって、別段いわなくてもいいのだが。

 ヘビーベビーカステラ
 ヘビーというのは重たいという意味がある。
 つまり、「重たいベビーカステラ」ということになるが、ここですこしおかしなことにきづく。ベビーカステラがおもたければ、ただのカステラではないか。ベビーではないのではないか、という問題に直面する。
 ミニストップというコンビニにものすごく広い駐車場が設備されていたら、それはミニストップだろうか。ただのストップになるのではなかろうか。
 ミニとベビーは厄介である。

 ヘビーユーザーという言葉がある。
 ユーザーとは、消費者、もっとひらたくいうと、使う人である。
 どうも、ヘビーユーザーのしっくりくる物としっくりこないないものがある。
 化粧品、電化製品などはヘビーユーザーという言葉がしっくりくる。

 「私はドアノブ、ヘビーユーザーです」
 といわれても、なんだねそれはとなる。それをいうならば、誰しもがドアノブヘビーユーザーである。なぜなら、ドアはドアノブを回さないと、どにもならないからだ。ドアを蹴破ることなど、人生で一度あるかないかである。
 「壁、ヘビーユーザーです」
 などといわれれば、この人は頓珍漢な人だ、以後、対応に気をつけようとならざるをえない。

 私は布団のヘビーユーザーなのでぼちぼち寝る。
 
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この道をいけばどうなるものかと赤いタオルがいっている

 投稿者:関本 ぶりき  投稿日:2008年10月20日(月)19時37分39秒
   私は今コラムを書いている。で、このコラムを書いているところは掲示板というのだそうだ。その割にたいした掲示がされていないが、なんせ掲示板というらしい。
 私のコラムのすみのほうになにやら広告がちょいちょいでてるのだが、私には広告費ははいってこないらしい。はいってくればいいのに、どういうわけかはいってこないらしい。
 つまり、私のコラムに広告を載せている会社は広告を出しているにもかかわらず、
 「すまんね、これでコーヒーでものんでくれ」
 てなコーヒー代がないのであり、私はそれにおこっているというわけではない。
 別段、怒らないし、もしかしたら、ネットではそれが当たり前のことで、ネットをしらない私が頓珍漢なことをいっているのかもしれない。

 で、その広告である。
 私が今日発見した、私のコラム掲示板にあった広告にはこうあった。
 「恋愛成就の近道教えます」

 広告ってのはつまり商売である。
 商売ってのは、多種多様だ。
 スーパーに行けば
 「春摘みいちご入荷しました」やら
 「秋の味覚、栗」
 てなポップがある。
 これもいわば広告である。
 実にわかりやすい広告である。
 あ、いちごだな、栗だな、てなものである。

 薬局にいけば、
 「水虫はこれで治る」
 「あなたのインキン、陽気になおします」
 「ワキガ、あきらめる前に」
 てなポップがある。薬局のポップがインキンを陽気にのようなだじゃれが入ることが多い。ワキガ、あきらめる前にのような、大層な言い回しも増える。
 これは、どういうことだろう。薬局の店主には、物事をおおげさにいうことと、駄洒落をはさむことを好む店主がおおいのだろうか。八方さんと文福さんが一人の中に共存しているのだろうか。
 話がそれたが、薬局においても、何を売りたいかは明確である。
 なんらかの薬だなあと容易に想像がつく。

 「恋愛成就の近道教えます」
 ってのは、なにを売っているのだろうか。
 気になるところだが、見に行かないほういいですよ。すくなくとも、小心者の私はいかない。なぜなら、ややこしかったら、嫌だからだ。
 皆さんの自由意志であります。

 恋愛成就に近道を教えることは、お金儲けになるらしい。
 恋愛成就だから、商売になるのだろう。
 「下田三之助さんの家への近道教えます」
 では商売にならないだろう。
 なぜなら、下田三之助さんの家への近道に対する需要がないからだ。
 これと同じことはさまざまなことに対して言える。
 「野菜売り場への近道教えます」
 「とてつもなくくさいトイレへの近道教えます」
 「靴下があなだらけになる近道教えます」
 等、需要のない近道をあげれば枚挙に暇がない。

 恋愛なのだ。人は恋愛に弱い。
 恋愛と穴だらけの靴下どちらが好きですかと人に問えば、半数は恋愛と答えるだろう。そして半数は「こいつはなぜこんなことを尋ねるのだろうか」と不思議な顔して立ち去るだろう。

 恋愛なのである。
 このコラムをどんな人がよんでいるのだろう。私自身把握していない。どうも、これを書いている私だけが読者であるという、ある意味愉快である意味絶望的な状態ではないようだ。現に何名かが読んでいるといてくれた人がいる。

 しかし、このコラムを読んでいる人が「恋愛成就の近道教えます」を心底欲しているだろうか。よくわからないが、あまりいないのではないだろうか。なにせ、木彫りの熊やら、穴だらけの靴下てなフレーズがよく使われるコラムである。

 ソフト内容を確認して広告を貼り付けるのが、広告屋の矜持ではなかろうかしらんとえらそうにのたまう。
 でさ、広告費ってでないのか、ほんとに。
 
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