寝起きのモールス信号
読後、何にも残らない文章ですが、何にも残らなかったな、てのは残る文章です。
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イカの塩辛と米と君さえいれば
投稿者:
関本 ぶりき
投稿日:2008年 7月31日(木)23時14分52秒
フィクションってのは、おおむね大状況を描く。恋愛、仕事、友情、そこまで大状況ではないにしろ、少なくとも、出演者は一人ではない。つまり、複数の人間によって物語が構成されるのである。
日常ってのは、そうではない。小状況の連続である。一人で始まり、一人で終わることが生活の大半を占める。根拠はないが、大状況の連続なんて日々を送る人はかなり疲れるのではなかろうか。一人で始まり、一人で終わるものに疲労はそこまでついてこないと思うのだ。
この間、炊飯器が壊れた。
なんだろうか。この地味さ。そして、それなりの不便さ。といってそこまで物語になるわけでは着地点の近さ。
ボタンを押せども押せども押せども、反応しないのである。
炊飯器に時計があるでしょ。ボタンの近くに、デジタル表示の時計があるでしょ。ね、あれって、コンセントを抜いても表示され続けるってしってましたか。しらなかったでしょう。私はしったのです。だれもしらないことをしるってのは、なんか優越感やんかいさああと、へらへらしていたのは、ビールの酔いが残っていたときまでであった。酔いがさめて、冷静になると、さあてどうしたものかが頭を占め始める。
しょうがないので、鍋で米を炊いたのである。鍋で炊いた米が実にうまいとなれば、それはそれでよかったかとなるのだが、さして味が変わったようには思えなかったのである。大体、ロングピースというニコチン、タールだらけのタバコを一日2箱吸っている人間が電気と火の味の違いがわかるわけがないのである。
私は物をよく捨てる。捨てるのだが、なんだが、捨てるに忍びないものってがあって、その手の類が部屋の片隅に置かれている。ダンボール、虫取り網、石油を入れるしゅぽしゅぽするやつの壊れたやつ、昔のバイト先、スーパー万代のユニフォーム、鮎を釣る人たち等が被る傘、エトセトラ。
いつかなんらかで使う日がくるような気がしてすてられないのである。質量保存の法則ってやつで、どうせこれを捨てたところで、地球上の質量はかわらないのだから、まあいいかとなるのである。何がどうまあいいかはわからない。そこまで考えないようしている。
で、また壊れた炊飯器もその類にはいってきたのである。
使い道あるようなきがするのである。壊れた炊飯器。
通帳、印鑑エトセトラを炊飯器の中に入れて金庫代わりのするのはどうだろう。
いや、いっそ、セカンドバックにするというのもいいかもしれない。
炊飯器の中で金魚を飼うのも捨てがたいように思う。
とりあえず、今はまだ、部屋の隅で申し訳なさそうに鎮座している。
申し訳なそうに見えるのは、単に私の見かただろう。
切り取られた袖は今、地下のタンクにためている
投稿者:
関本 ぶりき
投稿日:2008年 7月27日(日)13時53分17秒
「関本さんのコラムって、掲示板にかいてるんですね」
と何人かの方に言われた。
私はそのへんのことがいまいちわからない。
これは掲示板らしい。
南河内の田舎の酸素を吸っていた私からすると、掲示板というのは
「沢村呉服店寄付一萬円也」
と半紙に紙で書かれ、それが張っているものというイメージがあるが、ネットの世界にも掲示板というものがあり、どうやら私はそれに書いているらしい。
掲示板に書いていても、筆者、つまり私はどうとも思わない。たとえば、これが、
「関本さんのコラムって、米粒にかいているんですね」
と言われたとしたら、
「そんなことはないけどね、そんな覚えはないけどね、そんな技術はないけどね」
とないけどねの連発をするだろうが、米粒に書いてるんですかとはいわれたことはない。当たり前だ。
掲示板なのか、ホームページなのか、おそらくそれはコンピューターに長けた人にとってはひっかかるところなのだろう。しかし、私はコンピューターに長けてはいないので、別にどうとも思わない。よかった、米粒コラムじゃなくてと思う程度だ。
それに長けているか否か。長けていないものが、長けたものに発言をするとき、軋轢が生じることがある。
ファッションに長けている知り合いがいる。彼は袖のない服を着ていた。私はそれを「タンクトップ」という名称だということぐらいは知っている。しかし、私にはとっては、どっちでもよかったのだ。
「えらい、派手なランニングシャツ着てるね」
彼はムッとした顔をこちらにむけた。
「違いますよ、タンクトップですよ、ランニングなんか着ませんよ」
私はファッションには長けてはいない。故にランニングとタンクトップの違いがわからない。細かい違いがわかるか否かがセンスということらしい。ゆえに私はファッションセンスに劣っているのである。
しかし、タンクトップってなんだろう。
ランニングはわかる。なぜなら、マラソン選手は大体が袖のない服を着ているからだ。走るシャツ。走るに適したシャツ。正しくはそういうことではないのかもしれないが、感覚てきには「袖がない=ランニング」はわかりやすい。
では、なぜ袖がないとタンクトップなのだろうか。
タンクとはなんだろうか。貯蔵庫のことだろうか。戦車のことだろうか。戦車のトップ。トップとは先のことだろうか、頭のことだろうか。
戦車の先。
袖のないシャツは戦車の先に似ているということだろうか。
私にはどこがどう似ているのかわからない。
(無題)
投稿者:
おかもと
投稿日:2008年 7月20日(日)19時31分5秒
↓かなり遅いレスになったが、ここあんま構造がわからんね
てかアホやなぁ、俺もお前も
(無題)
投稿者:
おかもと
投稿日:2008年 7月20日(日)19時22分36秒
うどんもって報知器見にきて、すすってんはわかるやろ
のびるからに決まっとる、俺もそうする
ちょうどいいっていったのは、不倫関係や
夏への扉、再読
投稿者:
関本 ぶりき
投稿日:2008年 7月20日(日)13時11分30秒
夏である。暑い、暑い、暑い。
「夏で、恋だ、海だ、思い出だ」といい面ばかりとりあえず書く。
夏ってそんなにいいものかねえ。いやあ、私にはそうは思えんのである。
「夏だ。ヤブ蚊だ、ゴキブリだ、暴走族だ、熱中症だ、食中毒だ」
夏の嫌なところを書き出せば、枚挙に暇がない。
「夏ってなんか期待しちゃうんだよな。毎年何にもないんだけどさ」
これはシティボーイズのコント、「天狗」からの抜粋である。達見である。
なんにないのである。ただただ、暑いという試練がそこにあるだけだ。
夏に期待してしまうのは、水野晴夫さんが金曜ロードショーで毎年のように「スタンドバイミー」を流すからだ、というのは私の知り合いの珍説である。
たとえそこに性的なものがなくても、もちろんあるに越したことはないのだが、性的なことはないにしろ、なにか夏には物語があるような気がするのは確かだ。
大学の頃、知り合いとキャンプもどきをしようと、いつも釣りをしている河原でカレーをつくって食べたことがある。かなりスタンドバイミーからは遠いがベクトルは同じだろう。
そのカレーにちくわが入っていた。知り合いがいつの間にかいれたのだ。
「ええ、普通いれるやろ」
とそいつは言った。
ビーフカレー、チキンカレー、ポークカレー、ちくわカレー。
この中でひとつだけ普通ではないカレーがあります。さてなんでしょう。
実に簡単なクイズである。
ちくわいりのカレーはうまかった。普通ではないが、これからちくわカレーが普通になる日がきてもおかしくないのでは思うほど、うまかった。
スタンドバイミーな夏をすごしたことはないが、毎年、ちくわカレーぐらいの夏はすごしている。
そうめんの日々に油気を
投稿者:
関本 ぶりき
投稿日:2008年 7月19日(土)14時57分38秒
「もやし少なめでおねがいします」
そのラーメン屋のラーメン屋のラーメンはもやしがあまりにたくさん入っている。何回かそのラーメンを食べながら思ったのだ。
「ズルズルをもやしのしゃきしゃきが邪魔している」と。
私は意を決しって発したのだ。
「もやし少なめでおねがいします」と。
「兄ちゃん、もやしの少ないラーメンはラーメンじゃないよ」
おもいもしない返答がやってきた。
もやしの少ないラーメンはラーメンでないとすると、私が今まで食べてきた、サッポロ一番塩ラーメンはなんなんだろうか。あれは、ラーメンでないとなんになるのだ。ねずみ男みたいなものか。半分妖怪で半分人間みたいなものだろうか。
どうも、私はラーメンがそれなりにすきなよである。食べ歩きするほど好きではないが、何をたべようかとなると、といりあえず、ラーメン屋にはいる。
とあるラーメン屋で正真正銘の味噌ラーメンを食べたことがある。
味噌汁の中に麺がはいっていたのだ。
まずくはないが、決してうまくもなかった。
そうめんがあまったとき、うちの母親はよく、味噌汁にそうめんを入れていた。
それとまったく同じ味がしたのだ。同じ味というよいりも、同じものと解釈したほうがいいだろうか。
壁にメニューが張っていた。味噌ラーメンと書かれたメニューの下に店主の言葉が書かれかかれていた。
「味噌味のラーメンです」
そのとうりだ。そのとうりすぎて困るのだ。人は100パーセントの味噌味を求めて、味噌ラーメンを注文するのではないのだ。
カレーについてのエトセトラはまた次回。
大阪のど真ん中でかなり途方にくれていたんだ
投稿者:
関本 ぶりき
投稿日:2008年 7月17日(木)22時18分38秒
旅と旅行の違いはなんだろうか。
辞書をみればすぐにわかるのだろうが、それは少しちがうように思うのである。辞書は厳密すぎるのだ。もちろん、それでいいのであるが。
「教師」
ものを教える公務員
なんて辞書があってもそれはあまり役にたたない。大雑把なものを辞書とはよびにくい。
旅と旅行の違いであった。
生活レベルにおいての意味の違いを考えて生きたい。
現地で何を食するか、というアプローチの仕方がまず考えられる。
「旅は現地の定食屋で一人ぽつねんと飯をくう、
旅行はなんせカニをくう」
なかなか的を射ているのではなかろうか。
現地で何をみるか、そこにもまた違いがうかがえる。
「旅は女が一人、海をながめる、
旅行はおっさんが数人で、ロシアンショーをながめている」
どうも、日本海側の話ばかりをしているように思う。では、少し場所を変えよう。
札幌にいったとしよう。
「旅はトレンチコートを羽織り、缶コーヒーを飲む
旅行はなんせ、蟹をくう。浴衣を羽織って蟹をくう。この場合は毛蟹だろう」
どうしても、旅にならない、旅行にしかならない土地がある。
大阪である。私は大阪に住んでいる。思うのだ。大阪は旅にならないと。
新世界で通天閣見て、串カツをくらう、環状線に乗り、大阪城を見物、道頓堀にてグリコの看板をみる、日本橋で電化製品を買う、富田林で途方にくれる、エトセトラ。
何をするにしても、旅にはならないのが、大阪である。旅行にはなるかもしれないが、決して旅にはならない。
なぜか大阪について書いてしまった。大阪とはなんだろうか。
大阪には店じまいの看板をだしながら10年ぐらい営業している店がある。店主によれば、いつ店じまいをするかは看板にかいていないのだから、嘘の広告にはならないのだそうだ。
そんな街である。
旅になるわけがない。
中野の友人を見かけたら
投稿者:
関本 ぶりき
投稿日:2008年 7月10日(木)23時08分17秒
編集済
私の口癖はなんだろうか。
「甚だしい」
かもしれない。
「真夏甚だしい」
「缶ビール甚だしい」
「五本指の靴下甚だしい」
など、文法を無視した使い方をすることもある。
酔っ払うと、「それでこそ男の中の男」と言い出す知り合いがいる。
男の中の男とは具体的にはどういうことであろうか。
食料が雑草だけでも、生きていける男だろうか。
マチ針ぐらいの武器でも野生の熊を殺せる男だろうか。
どうも、私は男の中の男というフレーズに生命力をイメージするようだ。
実際のところどうだろう。生命力は女性のほうがあるように思う。
「男の中の男」今はあまり使われないフレーズではなかろうか。
「の中の」という使い方は別段、男に限る必要はないように思う。
「女の中の女」があっても当然いいし、「洞窟の中の洞窟」なんて言い方があってもいいように思う。「洞窟の中の洞窟」となると、現在位置を見失う恐れがあるのは確かだ。
「私はいま、洞窟の中の洞窟にいる」
摩訶不思議な構造の洞窟なのかいなと考えさせられてしまう。
「野中の中の野中」
野中という姓を持つ人間の中で、あなたこそ野中の鑑だという意味である。
「野中の中の野中」
というフレーズをずっとみていると、野中さんが三人いるということだろうかと変な気分になってくる。
野中さんがいるなら当然、中野さんもいる。
「中野の中の中野」
このフレーズを10回連続でいってみてほしい。別段早口言葉ではないので、ゆっくりでいい。10回言ってみた人ならわかると思うが、言ってるうちにとてつもなくあほらしくなってくるのはなぜだろう。
あほらしいの中のあほらしい、甚だしである。
文章の締め方が安直の中の安直、甚だしである。
著者は自分の言ってる意味を把握しながら書いていると思ったら、それは大きな間違いである。
その答えは友達と風に吹かれていく
投稿者:
関本 ぶりき
投稿日:2008年 7月 5日(土)19時49分28秒
「ちんけだよね」
と私は過去に言われたことがある。腹がたったということはない。その人には私がちんけにうつったのだろう。人が何を思うか、それは自由だ。自由意思ってやつだ。意思の縛りってのは恐ろしい。だから、それはそれでいい。それでいいのだが、それを当人にむかって言うのは話が変わってくる。気が悪い。気が悪いをことを言わなくてもいいではないかとはなる。
「地球が回ってる間は黙ってて」
知人は過去、そういわれたことがあるそうだ。
そんな言われ方はないだろう。地球が回るのをやめたということは生命と呼ばれるものの99.999999パーセントが生命活動を停止し、仮にもし仮にだが、何らかの奇跡で彼が生きていたとしても彼の声は誰にもとどかないことになる。なぜならば、地球はとまってしまったのだから。
人は意見する。意見したいのだ。自己主張のない人生はあっさりしすぎだ。故に自己主張は大事だが、大事だが、自己主張を大事にしすぎると、このような悲しき事態にも陥るい。
メッセージソングという言葉がある。
私には歌にしてとどけたいメッセージがあるだろう。ない。ないのである。
「パソコンにオフタイマーがあれば便利なのに、便利なのに」
とりあえず、今の思いを歌にした。メロディーはおのおのかってにつけください。
遠くで汽笛を聞きながら
投稿者:
関本 ぶりき
投稿日:2008年 6月27日(金)01時15分43秒
どういうわけだが、遅刻が多い。これはいけない。実にいけない。わかってはいるのだが、3つ、目覚まし時計をセットしても、起きないのだ。体のどっかが麻痺しとるのではなかろうかしらん。
「たるんでるんだよ」
と言われたことがある。
「たるんでるといわれても、目覚ましをとめたのではなく、鳴り止むまで寝続けた結果こうなったわけで、そんな、怒る?怒るわな、2時間やもんね。でも、寝てるときは気絶してるわけだから、そこんとこさあ」
なんてことは言わない。ただただすいませんである。
確かに遅刻されて気持ちのいいものではない。ないのだが、私の場合、私自身も遅刻の常習なので、あまり強くはいえない。
「なんだね、それは」という遅刻の理由を述べられたことがある。
「起きてたけれど、冬の寒さに負けて遅れた」
「途中でパチンコの誘惑にまけて遅れた」
「くる途中に実家を通ったので、ソーメンを喰ってきて遅れた」
「遠くで陽炎がゆれていたので遅れた」
私はめったに怒声を浴びせないが、最後の「遠くで陽炎がゆれていたので」の理由を聞かされたときはさすがに声を荒げた。後から知ったのが、「遠くで陽炎がゆれてる」というのはフジファブリックというバンドの「陽炎」という曲の歌詞だった。
おそらく彼はアイポッドでその曲を聴きながらきたのだろう。
インドでは丸一日ぐらい電車が遅れるなんてことがざらにあるそうだ。
不思議なのは、どうやって電車をまっているのだろうかということだ。ホームで待つのだろうか。それとも線路の見えるところで電車の音を気にしながら寝転んだりしているのだろうか。なんか、すごい。すごいのである。壮大という字と適当とう字を墨で書いて、インドに送りたい。
もし、野球が200回の裏までるスポーツだったんらば、おそらく最強はインドだろう。もし、サッカーが前半後半あわせて一ヶ月をようするスポーツならば最強はインドだろう。ボクシングが999ラウンドあれば、あとはいわなくてもわかるだろう。
インドに持久戦を挑むな、返り討ちは目に見えている。
以上は、新着順41番目から50番目までの記事です。
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