寝起きのモールス信号
読後、何にも残らない文章ですが、何にも残らなかったな、てのは残る文章です。
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地味な旅行も少しは疲れる
投稿者:
関本 ぶりき
投稿日:2008年 4月20日(日)22時51分28秒
派手な人間と地味な人間がいるとする。
この二つに分ける論法はあまり賢いとはいえない。くくりが広すぎるからだ。くくりがひろいし、状況によってかわってくるわけで、二つにわけるってのはかなり無理がある。無理があるのを承知でいう。
派手な人間と地味な人間がいる。
派手とはなにか。
思うに、本能が直接的に行動につながる人間が派手ではなかろうか。もちろん、人間、どこかしらかで本能ってやつはうごいているのだが、直接的か間接的かをいっているのである。着飾る人は、オスの鳥のように異性の目を引く現われ。腕力思考の人は闘争本能の現れ。強いということは動物にとって遺伝子を残すにもっとも必要なことだろう。いい車に乗る、高いかばんをもっているってのも、貨幣が幅を利かす社会になり、力が貨幣とニアリーイコールになった結果と考えれなくもない。
ま、かなり乱暴な論だが、真ん中を言いえてるとは思うないが、少しかすっているのではなかろうかと思うのである。
地味な人は本能が行動から何層も下に隠れているのである。
私は地味な人間である。
地味な人間も時には、友達と集うことがある。笑いあうこともあるが、女性のいる店に行くこともなければ、大酒をあおることもしない。無茶らしい無茶は皆目しない。
では、何をするのか。
この間、友人の家で二人、2リットルの水を10分以内に飲み干し、どちらが先に便所に
いくかというゲームをした。これはゲームなのだろうか。これの何がおもしろいのだろうか。これをして何の得があるのだろうか。「俺、2リットル水飲んで、5時間小便我慢したよ」といって、モテるようなことがあるのだろうか。
上記の疑問文すべてに、ノーと答えることができる。
結果は私の完敗であった。
2リットル飲み干すと同時にトイレにいったのである。
たまには派手に遊びたいものである。きっと、疲れて、夜は寝るもんだなんていうのだろうが。夜寝ても、昼寝るのは、なぜだろう。
きっと、私の脳は睡眠せよという本能が大半を占めているのだろう。
ゾンビで印象にのこるのはだれもいないスーパーマーケットのシーン
投稿者:
関本 ぶりき
投稿日:2008年 4月19日(土)23時22分38秒
けったいな奴はおもしろい。私はけったいかどうかはわからないが、おそらく、そこまでけったいではない。なぜそういえるかというと、私よりもはるかにけったいな人間が数名しっているからである。
鉄鋼所で働く知り合いがいる。仮にスーパー君となずけよう。なぜスーパー君という仮名をつけたかはおってわかると思われる。
私とスーパー君の会話。
「休みの日は何してんの」と私。
「親の車かりて、ドライブいくな」
「ドライブってどのへん行くの」
「車でダイエーまで」
「ダイエーでなんか買うの」
「いや、ダイエーの建物見るだけ」
「見るだけってダイエーみておもしろい」
「いや、なんかほっとするなあ」
ダイエーをみてほっとする。この発想、そんじょそこらの人間ではでてこない。あの、オレンジのマークを見ると和むのだろうか。和むのだろうな、おそらく。
スーパー君とたまにたこ焼きを食べに行く。私とスーパー君の家は近い。お互いの近所に店の中でたこ焼きを食べられるタイプのたこ焼き屋があり、そこに行くのだ。
彼はいつも、たこ焼きを二個いっぺんに口に入れる。なぜかと問うと、
「ううん、小さい頃からの癖でいつの間にかたこ焼きは二個いっぺんにはいるように、口が進化したんかなあ」
と答えた。生物の進化は一代でなしえるものだろうか。そうじゃない気もするが、彼がそう思っているのを否定したくないので、私はそれはすごいねと苦笑いを投げた。
けったいな人はおもしろい。日本人の平均的価値観からのズレってのがけったいやとすると、けったいは国宝かもしらない。
変わってるやら、個性的てな言葉が普遍的になるというよくわからない昨今、心底けったいな人は国宝にすべきではなかろうか。彼は姫路城みたいなものである。あくまで私の中ではだが。
カムチャッカから少し離れたところに住み始めて
投稿者:
関本 ぶりき
投稿日:2008年 4月18日(金)00時32分26秒
イタリア料理のことを「イタリアン」呼ぶそうである。
では、パタゴニア料理は「パタゴニアン」と呼ぶのだろうか。たぶん呼ばない。なぜなら、「パタゴニアン」はパタゴニア人を指すと思われるからである。
フランス料理は「フレンチ」である。
では、パタゴニア料理は「パタゴニッチ」となるのだろうか。たぶんならない。なぜなら、「パタゴニッチ」はなんだかクロアチア人のように聞こえるからだ。そうなると、結局、どこの国の何をいいたいのかわからなくなるではないか。
私はパタゴニアについて何もしらない。国なのか、それともどこかの国の州、市なのか、島なのか。とりあえず、パタゴニアという場所があるのだろうという推測はたつ。
なぜこうも、パタゴニアが頭に張り付くのかというと、単に音感である。パタゴニア。いいではないか。
気分はピーチパイって曲があるが、私はそれがどんな気分なのか皆目見当がつかない。なぜなら、ピーチパイを食べたことがないからである。気分はひよこ饅頭ならなんとなくわかるきがする。なぜなら、ひよこ饅頭を食べたことがあるからである。きっと、ぱっさぱっさした気分って事がいいたいのだろうなと推測がたつ。
気分はパタゴニア。私はパタゴニアには行ったことがないが、それはなんとなく、わかる気がする。
私の中でのパタゴニアは南の島で、優雅というか、平和というか、退屈というか、たまに屁をこいてはけつを掻くだけの生活というか、なんだかそんな感じだ。どんな感じかわからない人もいると思うが、心配ない。わかろうが、わかろうまいが、平等に年金制度は厳しいのである。
音感がすきなもの場所はまだある。
アゼルバイジャン、カムチャッカ、喜連瓜破、蒲生4丁目。
とりあえず、喜連瓜破と蒲生4丁目には今からでもいける。いくわけがないのだが。
脱出できないミラーハウスのような
投稿者:
関本 ぶりき
投稿日:2008年 4月16日(水)19時05分34秒
春だったねええ〜、と吉田拓郎の歌を聞いている間にもう、春も終わってしまうのである。早いものである。少し、春について書く。
春について書くといったが、春日部市、春一番、はるかかなた、ぐらいしか出てこなかった。はるかかなたさんにいたってはひらがなになっている。別に季節に思い入れがないのである。
この間、回転寿司を食べに行った。カウンターの隣には40手前のお父さん、その隣に小学生。おそらく親子だろう。
お父さんは子供に語りかけた。
「やっぱり、春は寿司がうまいねえ」
寿司は春夏秋冬うまいだろう。寿司は春だからうまいというものではないだろう。夏でも冬でもうまいとおもうし、しいていうなら、魚がうまくなる冬のほうが寿司はうまくなるのではなかろうか。しかし、おとうさんにとっては「やっぱり、春は寿司がうまいのだ」
小学生は返事することもなく、たまごを食っていた。たまごは春夏秋冬、たまごだ。春だけ、「たびご」になるなんてことはない。やっぱりたまごはたまごだ。
なにか、ほのぼのとはかなさを感じた。
春を愛する人は心清き人〜、なんて歌があるがあれはどうだろう。では、何か、木工用ボンドを愛する人は心にごった人なのかと、へ理屈のひとつもとばしたくなる。へ理屈をとばすような奴は心清くはないのだろうか。すくなくとも、私は清くない。
墓に手を合わしながら、「俺はなぜ石に手をあわさなければならないのだろうか」と思うことがある。清い人間の発想ではない。ある種の宗教的儀式に理屈を持ち出すことが、まずおかしいのだがそう思うことがあるのだ。
しかし墓に手を合わすとき、やはり少しは故人のことを思うのであり、脳の中に故人の人の記憶を再度浮き上がらせるってのは、なんかいいようなきがするのである。
墓地にいくと、小石が靴の中に入る。きまって入る。私の歩き方が奇怪なのだろうか。みなはどうだろう。墓地の小石についてのフォーラムは開催されないので、私は困っている。厳密にいうと、そこまでこまっていない。言い切ってしまうと、ほとんどこまってはない。
私にとっては、春は昼寝の季節なのである。ねむりに落ちる前の、思考のエッシャー騙し絵的回廊に迷うのもまたよしだ。なんかそんな文章である。今回は。毎回だが。
なんだね、そら幸せだって
投稿者:
関本 ぶりき
投稿日:2008年 4月13日(日)23時58分5秒
「なんだね、そら」という言葉を吐き倒す知り合いがいる。
「なんだね、そら」とはおそらく大阪弁である。標準語ではおそらく「何ですか、それは」になるのだと思われる。しかし、「何ですか、それは」と「なんだね、そら」の音感はぜんぜん違う。音感が違えば、意味も違ってくるのは当然の如しである。みそとくそほどちがうし、中山美穂と立松和平ほど違う。中山美穂と立松和平の相似点は歯がでていると言う点だが、同じ出刃でもここまで人は違ってくるのである。別にどちらがどうって事はない。「なんだね、そら」を立松和平、「何ですか、それは」を中山美穂だと考えれば少しみえてくるのではなかろうか。
街角において
「あんたの幸せをいのらせてください」
「何だね、そらあ」
この程よい、自己を残した返し言葉。
「あんたの幸せをいのらせてください」
「何ですか、それは」
これでは、少し祈って欲しいのではなかろうかという匂いがする。
「二十世紀のパラダイムってのは、消費とともに幸福が付加されるというものから、それに対する違和感というものにパラダイムが移行していったわけですよね」
「何だね、そらあ」
クエスチョンマークがついたならば「何だね、そらあ」がちょうどいい。「何ですか、それは」よりも、はるかにいい。胡散臭いものにたいする、有効な手段といえるだろう。
胡散臭いってのは主観である。私の主観が他の人とずれていることもままあるだろう。
「将来は南の島で、喫茶店でもしながら、仲間とわいわいする生活がしたいなあ」
といっていた人がいた。
私は間髪いれずに「何だね、そらあ」を放り込んだ。
その人はポカーンとしていた。
きっと、私の「何だね、そらあ」に対して「何だね、そらあ」だったのだろう。
横穴式住居にもすみなれて、その一
投稿者:
関本 ぶりき
投稿日:2008年 4月 9日(水)23時56分14秒
私はハイツにすんでいる。味のあるハイツである。味のあるハイツには味のある人間が住むようになっているのだろうか。どうもそのようである。
ある日曜の夕暮れ、火災報知機がけたたましくなった。誰かが報知器を悪戯でおしたのか、誤作動かそこのところはわからない。
報知器の「ジリジリジリジリ」って音はかなりうるさい。なるほど、寝ててもおきるだろうなという音量である。音源は一階に設置されてある、報知器であった。行ってどうなるというわけではないのだが、どういうわけか住人は音の発信源にむかった。
「大家に電話したか」
「うるさくてテレビもみれんわ」
みな口々に、少しだけ乖離した日常に文句をいっていた。でも、少しだけ、うきうきしているようにも見えた。
「ジリジリジリジリ、もううるさてしゃあないわ」といっているおじさんがいた。おじさんはうどんのどんぶりを右手にもっていた。
「うるさて、もう、たまらんな」
といってはうどんをすすっていた。
なぜうどんを置いてこなかったのだろうか。
百歩譲ってうどんをもってきたにしろ、食べなくてもいいではないか。
そのてのまともらしき指摘は無粋である。無粋はいけない。簡単に味ある風景をこわすのである。
「ちょうどよかった、うちも今日うどんやねん」
一人のおばさんがいった。
なにがどうちょうどいいのかわからないが、わからないこともまた味である。
変身2級の資格は役にたつのかねえ
投稿者:
関本 ぶりき
投稿日:2008年 4月 6日(日)22時31分7秒
細かい事を気にしていてもしょうがないと思う。しかし、細かいことを気にしてしまう。何をいいたいかというと、仮面ライダーのことが言いたいのである。
私は仮面ライダーが大好きというわけではない。かといって、嫌いというわけでもない。じゃ、別に言いたいことなどないように思うのだが、小さい頃からのひっかかりをここで発表したい。
ショッカーとは仮面ライダーの敵である。世界征服をもくろみ集団である。ショッカーてのは組織である。で、どうも、あれは会社のようなものではないかと思う。幹部がいて、幹部の指令をうけて、ショッカーの平社員と思しき「ヒーヒー」いう生物、人々、ま、なんと表現していいのかわからないが、「ヒーヒー」言う方々が業務を遂行しているようにみえる。
おそらく、給料がでているのであろう。それもかなり破格の。でなければ、わざわざ雑魚として、毎回負けてる仮面ライダーてなやつに、戦いを挑むなんて仕事をするわけがないのである。破格にきまっている。時給、800円では割りにあわない。もし、無給でやってるとしたら、行いのよしあしは別として、世界征服なんて途方もないものにかかわろうとするエネルギーたるや、計り知れないものである。ボランティア精神の塊、ニートの間逆、ともすればベンチャー企業ん社長顔負けのエネルギーである。なぜかショッカーがいいやつに思えてくるから不思議である。
で、私が言いたいのは仮面ライダーについてである。仮面ライダーてやつはどうもどこからもお金が出ていないようなのである。もともとは仮面ライダーは、ショッカーの幹部クラスの社員になりかけていたのだが、「嫌だな、この会社」ってことで逃げ出してきた人なのである。そして、古巣のショッカーの邪魔をしているのだが、どうもこの人、どこからも給料を得ていないようなのである。毎回通っている喫茶店に小林さんというマスターがいる。マスターは仮面ライダーから「コーヒー代」をとっているシーンがないので、おそらくただでコーヒーを飲ましてやってはいるみたいだが、コーヒーで腹が膨らむわけがない。しかも、仮面ライダーである。毎週、どっかの崖で生きるか死ぬかの戦いをショッカーとしているのである。常人の何倍もカロリーは消費しているだろう。
しかし、仮面さんはどこからも給料が出ていないとおもわれる。つまり、失業者なのである。仮面さんはどうやって生活しているかを考えたところ、おそらく、失業保険、ないしは生活保護ではなかろうかというところに結論ついたである。無給生活するには他にないではないか。仮面ライダー、実は駐車場経営で生活していて、あくせく働かなくても、駐車場の借り手から月々いくらか振り込まれているのなら、働かないことにもうなづけるが、どうもそんなことはないようだ。なぜかというと、借り手に「今月のまだ、入金されてませんけどねえ」という督促の電話を入れるシーンなど皆目ないからだ。
仮面ライダーは「変身」という特殊技能をもっているが、今現在、その技能が役立つ会社は存在しない。
ただひとつ、ヒーローショーの仕事には適しているように思うが、そうなれば、自分が自分を演ずるという奇妙な毎日なってしまうのである。
万物木っ端微塵願望
投稿者:
関本 ぶりき
投稿日:2008年 3月25日(火)01時35分38秒
台所にミキサーがある家はかなり料理好きの人がその家にいると考えていいのではなかろうか。私の部屋にはミキサーはない。実家にもない。なぜ、ないか。なくても生きていけるからである。包丁、まな板、なべはないとそれなりに困る。ここ、一年ぐらいまな板はつかってないが、捨てようという気にはならない。しかし、ミキサーはどうか。これ、なくても困らない。困らないがいるってのは、結構手の込んだ料理をする人だと考えていいだろう。私が、普段晩飯として食している、海苔定食にはミキサーのでてくる幕がどこにもない。海苔定食ってのは、海苔とご飯のことである。ほかには、雑魚定食やら、キムチ定食やらがある。ま、それはいまここで関係ない。ピクルス定食は普段の私のメニューにはないが、それもここでは関係はない。
今いいたいのは、私の食環境において、ミキサーの需要はなかったということである。
一人暮らしの今は上記のようなメニューであるし、実家にいたころ食べていたものは「菜っ葉の炊いたやつ」だったり、「高野豆腐炊いたやつ」とかだったりであった。料理名がないところがすこし悲しい。「菜っ葉の炊いたやつ」ってのは文であって、名詞ではない。菜っ葉の炊いたやつの正式名称てのはなんだろう。
フランス料理で「サワラと春菜を蒸したもの」てな文の料理があるが、あれと「菜っ葉の炊いたやつ」を同系列で考えていいのだろうか。いいも悪いもないだろうが、そう思ったのである。かくまでないことだが、書いてしまったのである。
あらゆるものをミキサーにかけたら楽しいのではないかと密かに思っている。なぜ、密かにおもっているかというと、こんなこと公衆の面前で拡声器をもっていうことではないだろうとおもっているから密かにしているのである。言うことが極端やなあ、君。前文は指摘の声である。
鉛筆をミキサーにかけてご飯にかけてはどうだろう。食えたものではないだろうが、匂いだけはいいだろう、きっと。
会社を辞めるとき、今までためた名刺をミキサーにかけてみてはどうか。きっとすがすがしい気分が訪れるだろう。
貨幣をミキサーにかけたら、資本主義に対して反抗しているような気になるのではなかろうか。
「最新鋭」という単語は電化製品によくあう。最新鋭のテレビ、最新鋭の冷蔵庫、最新鋭の掃除機。
最新鋭のミキサー。
ミキサーに最新鋭が似合わないのはなぜだろうか。ミキサーはこれ以上進化しなくてもいいよという庶民の無意識下での思いがそうさせるのだろうか。
小林さんに
投稿者:
プラフ
投稿日:2008年 3月19日(水)00時27分29秒
企画の際の参考にさせていただきます。
彼はあと何件建物を探訪したらゆるされるのだろうか。
投稿者:
関本 ぶりき
投稿日:2008年 3月18日(火)19時27分59秒
うううううううううぅうううぅウウウウウウゥウウウウウウゥゥゥゥてのは、何かというとい、私のノートパソコンから発せられるファンの音である。これ、気にならんといや
気にならんが、気になりだしたら、耳障りでしょうがない。
ようは、気にならないようにすることである。が、気になるのだから、しょうがない。小学生の頃、時計の秒針のチッチッチッチ音が気になって、家中の時計の電池をすべてはずしたことがある。親父にかなり怒られた。が、電池を抜いた理由を親父に告げ後、親父もこの秒針のチッチッチ音が気になりだしたという。
言われて見ればそうかなあ、そこから始まり、なんとなくその気になっていくことってのは多々ある。小林製薬の「トイレその後に」である。トイレはくさいものと相場が決まっている、きまっているのである、となっていたときに「トイレその後に」である。
「そんな商品のコマーシャルされたら、なんか気になり始めたわ」
てな人が結構いるだろう。
「ひじかさかさシート」てものまである。これ、気になるかああ。私はならない。ひじがつるつるで得することもなければ、かさかさだから損するようなこともないきがするからである。ひじがかさかさだから、面接で落ちましたってなことは聞いたことがない。仮にそんな会社があるのなら、こちらから願い下げである。ふと思ったのだが、小林製薬で働く人はみな、ひじがつるつるなのだろうか。上記で語った面接の話だが、小林製薬にひじがかさかさの者が面接を受けたとしたらどうなるのだろう。落ちるのだろうか。落ちるわけないわな。ないよ。いや、ま、ないわな。
ひじがかさかさなんて、おそらくそこまで気にしている人はいなかっただろう。小林さんがいいだすまでは。
気にならないとはいうが、まったく気にならないものは、おそらく売れないだろう。無意識的にしろ、言葉にしないまでも、何かそれに対する負のイメージを人々がもっていたから、これらの商品が成立するのだろう。これらとは、トイレの後とか、ひじのかさかさとかね。負のイメージを明確に輪郭つけするのである、小林さんは。
小林さんさん売り出した欲しい商品の羅列でおわる。
「パソコンのファンの音消すシート」
「発言の中にひとつは自慢を混ぜてくる奴を黙らせるシート」
「一回で排泄物をふき取れるシート」
「脱衣所びちゃびちゃにしないシート」
製薬会社の領域ではないだろうが、まあ、いいだろう。
小林製薬に対してのコラムは以前も書いたような気がするが、そのことは気にしないのである。まったく気にならないのである。
以上は、新着順71番目から80番目までの記事です。
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