teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


【巨大・新庁舎に組み込まれている延岡市長の悪質性】

 投稿者:松下潤治良  投稿日:2016年12月26日(月)10時06分40秒
返信・引用
  11月19日、延岡市の巨大新庁舎の完成を祝う記念式典が催された。和太鼓演奏やテープカット、市長から関係業者への感謝状贈呈など盛大なセレモニーだった。78億円の巨費を使った新庁舎は、吹き抜けのある贅沢なエントランス、市民スペース、授乳室やキッズ広場、客席80席の大レストランなど多機能で贅沢な造りとなっている。市長は、市民の皆さんの利便性を考えた市役所だと繰り返す。さらに市長は「『市民のため』の防災拠点となる市役所だ。後世の『市民のため』の100年間は耐える堅牢な市役所だ」と胸を張る。ひたすら「市民のため」を考えた結果が、建設費が膨れ上がった一因だと理由づけしているようにも聞こえる。(因みに市長室には市長専用の立派なシャワー付き浴室が設えてある)
延岡市は県内26市町村の中で最も人口減少幅が大きい。国の試算によれば、約40年後の平成72年には現在の約半数の7万人台へと落ち込む。そうした中、市長は何故、100年後も耐える巨大市役所を造ったのか。今後の人口減少に伴い、巨大市役所は相対的にさらに巨大化し、建物の多くの部分が無用の長物化していく。そんな巨大市庁舎をどう使いこなしていくのか。さらに人口減少で税収が減る中、この巨大・多機能な建物をどう維持管理していくのか。これから延岡市民を苦しめ続けることになるのは明白である。

首藤市長は「新庁舎の完成は市民の皆様と『関係各位』の温かいご理解とご支援の賜物であります」と夕刊ディリー(11月18日)の紙上で挨拶しているが、市民が理解し支援したというのは嘘。巨大かつ贅沢な新庁舎建設に対しては、「贅沢な市庁舎はいらない」「税金の無駄遣い」との声が渦巻いていた。故高木市会議員はブログで「機能的な庁舎で十分」と主張していた。市長は人口減少の中での巨大市役所の建設が今後、大きな負担をもたらすことになることが、分からないのだろうか。否、百も承知している。その上で、それには言及せずに、「市役所の巨大化や贅沢化は、市民の皆さんの利便性のため、市民の皆さんの安全、防災拠点のため、100年後も市民が使えるため」と「市民皆さんのため」という言葉を連発。表で善人市長を装う。その裏では自分の「私的利益」のために知恵を凝らし権力を行使する。では、巨大かつ多機能・贅沢な新庁舎の建設の裏に隠された首藤正治市長の「私的利益」とは何なのか。

その一つ目は、「自分を誇示する」ためである。首藤市長は自己顕示欲が異常に強い。延岡市の身の丈以上の巨大イベントの開催や、この巨大にして豪華な新庁舎建設は、その最たるものだろう。巨大市役所建設のもう一つの目的は、自分のため「選挙対策」だ。「(市長さんのお蔭で)立派な市役所が出来ましたね」「本当に良い市役所が出来ました」と言う老人たちをテレビが放映していたが、同様に感じる市民は多いだろう。市民広場やキッズ広場・授乳室、そしてレストランを利用する市民たちも、「首藤市長のお蔭」と思う可能性があり、選挙では彼に投票する流れとなる。首藤市長は、この贅沢な巨大庁舎の建設によって、①自己顕示欲の充足と②選挙対策という2つの私的な利益を獲得することができたのだ。

その2つ目。実はこの私的利益こそ、首藤正治市長が狙う最大のものである。庁舎建設の規模を大型し、建屋内容を多機能・贅沢にすればするほど事業費が膨大化する。その分、市長として、建設設計者・工事業者・資材や備品納入者など「関係各位」への仕事を、より多く配分してやることができることになる。ところで、元宮崎県知事、安藤忠恕氏は任期途中で失職した。理由は、公共事業に絡む建設業者間の仕事の配分がこじれ、不満業者のタレコミで官民癒着が表面化したためである。ある意味正直すぎた元知事に進言するならば、「延岡市長のように公共事業の規模を拡大し、安全対策を最大化し、建屋内施設を多機能・贅沢にし、事業費を膨大化すればよい」ということである。例えば、50億円が適正な新庁舎建設を78億円へと事業費を拡大すれば、公共事業に群がる「関係各位」のすべてが満足する仕事の配分が可能となるかもしれない。「関係各位」との間に、「首藤市長は仕事をくれる。次の選挙も首藤さんに」という絆が生まれる。市長と「関係各位」との間に「合法的な癒着関係」が築かれて行く。

新庁舎建て替え事業に見られた事業費の膨張は、首藤市長による他の公共事業でも見られる。新火葬場、最終処分場、延岡駅複合施設などの建て替え事業にも、事業の大型化や贅沢化による「自分のため」の巨額の税金投下が行われている。今後も、城山再建や内藤記念館建て替えなど大型工事が予定されている。因みに首藤市長が実施してきたのは、失敗に終わった複合施設・ココレッタ以外はすべて「既存施設の建て替え事業」である。その理由は、新規事業には事業そのものの失敗の恐れあるが、建て替え事業にはその心配はなく、安心して事業費の膨大化ができるからである。
明確なことは首藤流の「建て替え」公共事業の大型化は、市長を支援する関係業者の懐を豊かにするが、一般市民の懐は豊かにしないということだ。首藤市長は公金である税金を、自ら大型化した公共事業というフルターにかけて「関係各位」の懐に流し込んでやっていると言えるだろう。首藤市長の公共事業の大型化や贅沢化は、財政を悪化させるだけで市の発展にはさほど寄与しない。それどころか、すでに述べたように今後は、人口激減で細りゆく財源の下で大型かつ贅沢な公共施設を維持管理していかなければならない。首藤市長による財政悪化と大型施設群のこれからの困難な維持管理。その付けは高額な市長報酬を得ている本人ではなく、貧しい多くの市民に回される。これは極めて不条理なことだ。

悪人には二つのタイプがある。悪党と詐欺師である。悪党は外見や言動から見分けがつくので用心する。一方、詐欺師は頭が良くて話がうまく、相手を信用させて長期間にわたり騙す。被害が分かった時には手遅れの場合が多い。「市民の皆さんのため」と言いながら、「己の利のため」に、公共事業を大型化・贅沢化し、財政悪化と巨大施設の維持管理の負担を市民に負わせる首藤市長の手口は詐欺師的である。ついでに言えば、詐欺師は相手を信用させるためにまず学歴や身分を偽るが、首藤正治市長にはその必要はない。

追記: 新庁舎の事業化の経緯にも、首藤市長の悪質性を見ることができる。平成26年の三期目の市長選の決起集会で、そしてマスコミ各社にも「県内の首長から『庁舎建設に手をつけると選挙で負ける』と言われたが、私は損得を考えずにやってきた」と声を大にした。しかし、これは票を増やすために自分を立派な人物に見せようとする詐欺師のやり方だ。その4年前の2期目の市長選は、平成22年に行なわれた。当時すでに、新庁舎建設の話が持ち上がっていたが、その際、彼が発表した60項目に亘る膨大なマニフェストの中に、「新庁舎建設」はどこにもなかった。選挙で負けることを恐れて隠したのだ。再選された彼は、その直後に九保大副学長を委員長とする「新庁舎建設検討『市民懇談会』」を設置し、「関係各位」の一部とともに、新庁舎建設を既成事実化していったのである。その彼が、ほとぼりが冷めた4年後の選挙で「県内の首長のアドバイスも聞かずに、損得を考えず庁舎建設に手をつけた。これが私の誇り」だと嘯いたのだ。新庁舎建設が争点になるはずの選挙では庁舎建設には一言も触れずひた隠しにした首藤市長。これらの事実の中にも狡猾な人騙し、詐欺師的な首藤正治延岡市長の姿を見ることができる。

権限と財源を握る市長の力と影響力は絶大だ。その市長が、「市民の皆さんのため」と言いながら、実は「自分のため」に知恵を凝らして、事を進めるならば、そうした詐欺精神は市の職員や「関係各位」にも伝染する。延岡市が活気を帯び、発展する道理はないのである。



 
 

【宮崎県延岡市】自己利益を隠す首藤市長のイベント中心の市政運営

 投稿者:松下潤治良  投稿日:2016年 4月18日(月)07時23分56秒
返信・引用
  第15回「エンジン01文化人戦略会議オープンカレッジ」が15年11月21日から3日間、延岡市で開催された。チケット完売は過去の開催都市より早く、会場も大いに盛り上がったと報じられている。延岡市長は「①『市民総力戦』の結果の大成功だった。②市役所だけでなく民間ボランティア、沢山の団体、企業の皆さんに支えて頂いた結果だと思う」(夕刊デイリー11月25日)と話している。首藤市長は人間的に問題がある人物だが、その一つが嘘と巧妙狡猾な言葉遣いで人々を欺くことである。人間は他人の幸せのために知恵を凝らし虚言を弄することはしない。秘められた己の利益のために戦略的視点から嘘や巧妙狡猾な言葉を駆使し、人々を欺き自分に都合の良い状況を作り出そうと企むのである。

さて、首藤市長は上記①で、「市民総力戦」という言葉を遣っているが、質の悪い嘘である。その証は②の説明の中にある。「総力戦」に参加した内訳を網羅しているのだが、その中に、「市民」という言葉はない。このイベントへの戦闘員は、市役所職員、民間ボランティア、沢山の団体、企業の「皆さん」である。後述するが、市長が言う「民間ボランティア」は、一般的な「市民ボランティア」とは異なる。ここで、市長の「嘘」を数字の上から明らかにしたい。今回のイベントには5千人超が動員されたと言われる。5千人は大人数だが、それでも13万市民の4%に過ぎず、市民の96%は「総力戦」に参戦していないのだ。講座に参加した市民も数%だろう。今回、「市民総力戦は」全く存在しなかった。

市長は「市民が主役」「市民協働」を標榜するが、この「市民」の中に「一般市民」は含まれない。新庁舎建設の決定でも、「(一般)市民」は蚊帳の外に置かれた。今回の「エンジン01」でも、主役は首藤市長で市職員と各種団体が協働した。延岡市は都市活力の指標とされる人口動態で県内一の減少を続けている。要因の一つとして、首藤市長の言葉とは裏腹の「市民疎外」の市政運営を挙げることができるのではないだろうか。全体の数%だけが市長と協働し、90数%の市民が埒外に置かれるような市政運営で都市「全体」が活力を帯びる道理はない。

話を戻す。「エンジン01」の興行誘致を考えたのは首藤市長である。今年1月に11月開催を公表。2月には、市や商工会議所などの団体からなる実行委員会を設立。その下に実働部隊7部会を配した。「これまでの開催地に負けない大会にする」。さて、延岡市には2年前に興行誘致した「東京ガールズコレクション」の際に結成された、ボランティア団体「延岡サポートネットワーク実行委」という、通常の「市民ボランティア」とは違う「民間ボランティア体制」が常備されている。また、メディア取り込みに長けた首藤市政は、何か事を行う際にはそのメンバーに必ずマスコミを組み入れる。今回もイベント盛り上げの広告塔として最大限に利用した。このイベントには5千人超の人間が動員されたが、特異なのはチケット販売とイベントPRのために市長自ら、市役所OB二人に「特命の辞令」を手交したことである。市長率先、関係者協働の必死の推進態勢によって、「チケット早期完売」と「盛り上がり」が実現したのだが、延岡市にはこのほかに、盛り上がりをもたらす特有な状況が存在する。

延岡市民は「延岡には行く所がない」と言い、休日には大分市や宮崎市に流れる。延岡市民には日ごろ市内で楽しむ選択肢がなく、楽しみに飢えている現実がある。イベント、中でも有名人に会える「エンジン01」は市民たちにとって、喜びは大きく、そこへ集中し会場が熱狂的に盛り上がるのは自然の流れなのだ。首藤市長はこれを「市民力」と言うが、楽しみのない市民生活の裏返しでもある。市長は、そうした市民たちを喜ばせ人気を取ろうと目論み、イベント事業を頻繁に行う。首藤市長がイベントを行う、今一つの理由は、街や市民生活が良くならない現状への市民の不満、さらに、市長が主張してきた「高速道開通で延岡市への企業誘致が進む」などの「延岡バラ色」の期待が、実現しないことに対する【市民の不満を逸らす】ためである。市長は自己利益に繋がるイベント偏重の市政を止め、優先度の高い政策へ軸足を移すべきである。

さて、市長はイベント終了後の市議会でも、「初期の目的を上回る成果が得られた。チケットは完売し、大変な盛り上がりだった」と答えている。その目的のために5千万円の税金と5千人超の人員が投入された。仮に、日給1万円、実働3日間としても1.5億円。準備は2月から始まっており、実際はこれ以上の人件費が投入されたはずだ。最終的には数億円の人件費が、このイベントに投入されたことになる。このイベントのメリットとして大会参加者からは、「心の活性になった」「今後も企画してほしい」など喜びの声が聞かれる。そして、有名人による延岡情報発信の期待もある。一方その裏に、多額の財政支出と、そこに投入された多くの市職員や関係者たちの表に出ない膨大な人件費が費やされた事実がある。そこを勘案した真のコストパフォーマンスを算出し、イベントの是非を総合的に判断すべきである。

昨年、日本創成会議は10年~40年の間に若年女性の減少率が50%以上の自治体を「消滅可能性都市」として位置づけた。延岡市のそれは46%。四捨五入すれば50%であり、延岡市の将来は「消滅可能性都市」に位置付けられてもおかしくない危機的な状況にある。そんな中で、市長たちは「チケット完売」「盛り上がった」「イベント大成功」と喜んでいるが、13万都市の市長が、全身全霊でイベントに入れ込み、イベント盛り上がりなど些少な出来事で欣喜雀躍していて良いのだろうか。延岡市の最重要課題である「延岡新時代創生総合戦略」への寄与について、しっかりと検証し、次へ活かすべきだろう。

これに関し、市長はイベント終了翌日、市HPの「市長コラム」に「延岡市の発展に向けて烽火を上げるようなイベントになった」と書き込み、このイベントによって延岡市の発展が始まるような言い方で市民を惑わかしている。自己利益への巧妙狡猾な言葉遣いである。彼の心の中で、人を騙す詭弁的な言葉遣いが常習化してしまっている。続けて、「多くの市民、市職員らが不眠不休で頑張ったことは・・・」と書いているが、嘘の繰り返しだ。 「(一般)市民」は不眠不休で頑張っていない。さらに、「一夜明けて、職員の皆の、ちょっと疲労の色がありながらも、『輝く顔』を見て大きな宝が生まれたと実感した」と続くが、市長賛美へ至る職員賛美の作文だ。

ところで市のHPに、平成25年4月12日に書かれた、「東京ガールズコレクション(TGC)」に関する「TGC大成功!」と題する「市長コラム」が残っている。そこで、「TGCに関わった市職員は体調を崩す人が続出だ。皆には苦労をかけた」とさらりと述べている。市長は、今回は「職員の顔が輝いて見えた」と褒めたたえるが、市職員だけでなく、体調を崩す関係者が続出しないのだろうか。首藤市長が、「盛り上がり」を求めるイベントは多額の財政的支出とともに膨大な人的エネルギーを奪う。「一将功なりて万骨枯る」。延岡市全体」の活力が衰退するのは当然である。県内第一位の延岡市のイベント事業数。県内第一位の人口減少数と相関していないのだろうか。

市長は「情報発信力の大きな著名人が集まる『エンジン01』を成功させて、『延岡のイメージを変えよう』」(市民と語る夕べ)と知名度UPを強調する。そして、食のサミットや02、03などのイベントを次々に実施する計画だ。しかし、イベントで知名度は上がっても、実質以上にイメージを変えることはできない。重要なのは延岡市の魅力を地道に高めていく、真の「市民総力戦」だ。今回、堀江貴文氏は「知名度の低さや不便さを弱点とし、アクセスが悪いからと言い訳にする。そんな発想で不便を便利にしても大都会には敵わない。発想を変えなければならない」と指摘した。首藤市長は堀江氏の諫言を受け入れるべきだ。とその前に、エトス化している自己利益を秘めた嘘や虚偽的な巧言を止めるべきである。権限と財源を握る権力者の自己利益を隠す虚言癖や虚偽的な巧言癖は、市の職員や関係者、そして市民の「心」に悪影響を及ぼし、「地方 創生」に向けた「市民総力戦」を困難にする。首藤市長には「正直で分かりやすいな言葉」と「思惑のない真心の市政」が切実に求められる。


 

東九州道開通が浮き彫りにする首藤延岡市長の欺瞞

 投稿者:松下潤治良  投稿日:2015年10月 8日(木)14時03分4秒
返信・引用
  首藤市長が、今から約8年前の平成19年1月2日の市長コラムで「初夢」というコラムを書いている。「①東九州自動車道も平成26年にほぼ全線が開通した。②平成の大合併に端を発して延岡市を中心とする『東九州市』が実現し、人口23万人の特例市として交通の要衝となり  経済も大いに発展している。③夢は実現させるもの。さあ、みんなでがんばりましょう」。さて、その夢は実現したのか。彼が実現するとした  平成26年の姿と、その1年後の平成27年の現実との違いを上記の番号順に検証する。① 東九州道と横断道の開通状況はほぼ一致する。これは、国交省の開通予定に従って書いているのだから、当然である。②一方、彼が実現を目指した人口23万人の「東九州市」は実現せず、それどころか、13万人台だった人口は12万台に激減、経済も衰退している。実は、彼は1期目の公約にも、日向市と門川町を合併する20万都市構想を掲げたが、両首長に「そんなこと聞いたかなー」と言う程度のことしかしていない。なぜ自ら努力しないのか。「平成の大合併に端を発して」と書いているように国の道州制推進と更なる大合併政策によって、ほぼ自動的に2市1町の合併が進むことを期待し、それに【便乗】し自分の成果にしようと考えたのだ。しかし、国の動きがなかったので自分も何もしなかったのだ。国や県の動きや他人の努力に関与し、それに【便乗】し、自分の成果だと宣伝するのが首藤市長の常套なやり方である。

さて彼は、「延岡に高速道路がないことが発展阻害の最大要因だ」と市民に強調し続けてきた。「高速道路がないから企業誘致一つできない」「延岡の有効求人倍率は大分市の半分しかない。理由は高速道路がないからだ」。高速道のトンネル開通式では「このトンネルの向こうに輝かしい地域の将来がある」と挨拶する。平成20年7月7日のコラムで「高速道路以外にも力を入れて欲しい」との市民の声に、次のように主張している。「延岡の最大課題は人口減少。働く場を増やすため企業誘致にも精一杯取り組んでいるが進まない。高速道整備の大きな目的は企業誘致だ」。彼は「高速道路開通⇒企業誘致が進み雇用が増え経済が活性化⇒延岡市が発展」との三段論法を構築し、高速道路要望の必要性を強く説く。高速道路のデメリットには触れるのは御法度だ。当然、高速道開通に備えた施策は等閑にされる。「高速道路がくれば延岡はそれだけでバラ色になる」との大義名分の下、高速道路要望活動に全身全霊で頑張るのが私の使命だと自分の市政を正当化する。

なぜ、彼は要望活動に熱心なのか。三つの私的理由が考えられる。その一つ目は、国の高速道路事業に要望活動という形で絡むことにより、「高速道路開通」という国の成果を「自分の要望活動のお陰だ」として自らの成果として誇示できるからだ。実際、3期目の市長選では、「高速道路開通に自分の関わりが力を果たした」(朝日新聞、平成26.1.25)と誇示・宣伝した。予定より遅れれば、「さらに要望活動に力を入れる」と言えばよい。二つ目は、要望活動はマスコミが大きく取り上げてくれる、すなわち自身の売名、顔売りに極めて効果的だからだ。さらに、建設業者や関連企業、多くの団体組織からなる期成会の大会や集会で高速道路の必要性を訴えれば、彼らは自分を支持し、選挙になれば、強力な集票マシンとなる。三つ目は、要望活動は快適な仕事だからだ。対決的な要望をする訳ではない。何回も訪れる国交省や国会議員は気心の知れた仲間内。緊張感のない八百長陳情旅行なのだ。往復の飛行機、電車の旅は快適だ。宿泊先では飲食を楽しめる。陳情に名を借りた、税金を使った無銭飲食・無銭旅行とも言える。また、パフォーマンス性の強い要望活動は彼の自己顕示欲を満足させる。

首藤市長は「高速道路の他にもやることがある」との市民の声に対し、「高速道路が来さえすれば延岡は栄える」との考えを広める。従って、高速道に備えた前向きの事業は実施されなかった。実施されたのは、更新時期が迫っている市役所や火葬場などの建て替え事業と市長肝いりの大規模のイベントや大型の会議や集会だった。さて、そんな中、延岡市~宮崎市間の東九州道の開通の1年前ほどから、それに対する備えがマスコミなどで話題になりだした。これに対し彼は、「高速道路時代を迎えるに当たって、09年に『新生のべおかプロジェクト』を作成し取り組んできた」(宮日H25.1.9) 「東九州道や九州中央道の開通を見据え、延岡市では『新生のべおかプロジェクト』を作成し街の魅力向上に取り組んでいる」(同2.2) これらは首藤市長特有の世間を欺く狡猾な嘘である。作成年の09年は、彼の2期目の市長選の1年前である。プロジェクトと称するが実体は選挙マニフェストである。この多色刷りのパンフレットを大量に作成・配布し、 「街づくり懇談会」などで、選挙運動に役立てたのだ。その後、市のHPに掲載され、あるいは広報紙が時に取り上げることはあるが、それ以上の動きはない。

さて、上記のように「高速道路開通に向け『準備』した」と偽りの説明を重ねた首藤市長が、開通が迫る中の3期目の当選直後(H26.1.27)から、延岡の遅れを取り戻すことに忙殺され『準備』までは手が回らなかったと言い訳をしだした。「これまでの2期8年は、インフラ未整備の遅れを取り戻すことに主眼を置かざるを得なかった。東九州道が整備されたこれからは『追いつく』から新しい展開を目指す」(宮日H26.1.28) 「これまでは生活環境の未整備など延岡の遅れを取り戻す舵取りにならざるを得なかった。次の4年間は、新しい延岡のビジョンを夢として掲げ、政策を実行する」(夕刊デイリーH26.1.28) 卑しい言い訳だ。以前は、そのような発言は一切なかったし、「主眼を置いた」というインフラ整備はすべて建て替え工事。副市長以下で対応できる定常的な事業だ。実際に彼が忙殺されたのは、①他に類を見ない精力的な高速道路要望活動②各種ビッグイベントの開催や大規模な会議・集会の開催など③「新生のべおかプロジェクト」に見るような文書作成。「延岡市観光ビジョン」「県北定住自立圏ビジョン」「延岡市工業振興ビジョン」などなど枚挙に暇がない。合同記者会見で、「次の4年間は新しい延岡のビジョンを夢として掲げ実行する」と言うが、これまでに何回も聞かされた文言だ。今後も性懲りも泣く市民を惑わし続けるつもりだろうか。

同時に、「高速道が来さえすれば延岡はばら色になる」との従来の主張を翻した。上記の合同記者会見で、「高速道が通ってもばら色の未来が待っている訳ではない」「高速道路という道具があるだけで自動的によい結果が得られるものではない」と強調し、「市民は傍観者としての意識が高い。私たちは高速道路という道具を得た。どう活用するか市民みんなで考え、頑張っていこう」と呼びかけた。これも以前には決して言わなかったことである。東九州道は平成26年3月に宮崎市から延岡市まで、今年3月には大分市まで開通したが、いまだに、市外からの企業誘致はなく、人口減少も高速道開通を境に加速している。不都合な事実を隠す傾向のある首藤市長は、3期目の市長就任式で、「これから訪れる環境変化が、どんな結果をもたらすか予測したり、論評したりするのではなく、その変化に向き合うことが重要だ」と強調。要するに、「(私に)不都合なことは言うな」と教唆しているのだが、首藤市長が「市の発展のため」と言い続けてきた高速道要望活動の吉凶は時間が 証明する。

最後に今一度繰り返す。首藤市長の2期8年間の高速道路要望活動は市民のためだけではなく、自身にも好都合な側面があった。特筆すべきは、時間の経過とともに責任逃れの言い訳や変節が目立つようになったことだ。高速道の開通が近づくと、準備として「(偽装)新生のべおかプロジェクト」を前面に出し偽りの説明をする。次には、それを翻し「延岡のインフラ整備の遅れを取り戻すのに精一杯だった」と嘘の言い訳をする。同時に、「高速道路が来れば、ばら色になる」としてきた言い方を、「高速道が来ても、ばら色の未来は来ない。市民の頑張りが必要だ」として市民の責任に言及する。彼の言葉は、その場では真実らしく聞こえても、長いスパンで照らし合わせれば、「嘘や不誠実」が明らかになる。都合が悪くなる度に言葉で欺き、その場を乗り切ることに自信を持つ首藤市長のような人物は、課題や問題の解決に真剣に取り組まない傾向がある。そのような人物が長期間、権力と財源を委ねられ、「高速道一辺倒」の市政で延岡市を主導してきた。高速道路開通という事実が首藤市長の【欺瞞】をあぶり出す。これに対し、彼は市民の不満をそらすため、大イベントや大会議の開催などのパフォーマンスに励むだろう。11月には2年前の東京ガールズコレクション以上に大規模な「エンジン01」を催す。市民には、彼の自分都合を裏に隠す巧言や パフォーマンス的な施策に惑わされない鑑識眼が求められる。
 

詐欺師的な人物を市長に戴く延岡市民

 投稿者:松下潤治良  投稿日:2014年12月14日(日)14時54分41秒
返信・引用
  詐欺師とは「うまく人を騙して利益を得る人間」を言う。その特徴は、①言葉が巧みである。②100%の嘘は言わない。話の中に巧みに「嘘」を混ぜる。③不都合な事実は隠す。④自分を良く見せる。⑤これが最大の特徴だが、言葉の裏側に必ず「自己利益」を秘めている。延岡市の首藤正治市長は、言葉巧みに人を騙す詐欺師的な人物である。そのことを示す事例を、彼が書き続ける「職員への市長メッセージ」の中に数多く見出すことができる。最新(10月31日)の市長メッセージで、そのことを検証したい。

メッセージは次のように始まる。「昨日、シーガイアにおいて3000名規模で全国自治体病院学会が開催され、私も総会シンポジウムで「延岡モデルを目指して」というタイトルで『講演』する機会がありました」。 たったこれだけの文の中に、自分を良く見せるための「嘘」の混ぜ込みと「不都合な事実隠し」がある。実は地域医療に関するこの学会は、総会シンポジウムや臨床医学シンポジウムなど10の分科会に分かれて2日間、合計20回のシンポジウムが行なわれた。首藤市長が参加したのは初日の総会シンポジウムである。彼は「講演」したと書いているが、これは「嘘」。4人のパネラーの1人として、タイトルに関する「意見」を述べたに過ぎない。パネラーが、それぞれの意見を述べ、討議するのがシンポジウムである。彼は、こうした不都合な事実には一切触れず、「自分を良く見せる」ために「私は『講演』をした」と「嘘」をつく。

因みに、市長の隣にいたパネラーが、元仙台放送アナウンサーで慶応大の女性・準教授。地域医療の専門家で、当然、宣伝先行の延岡市の「地域医療を守る条例」などは知っている。彼は、こうした事実を知りながら、「横に座っておられた慶応大学の先生から「延岡モデルは有名なので楽しみにしてました』と声をかけていただき、びっくりすると同時に誇らしく思いました」と書いている。さらに、「『守る会』などで活動いただいている市民の皆さんや医師会の先生方、そして 頑張ってきてくれた市職員の皆さんの努力が高く評価されていると実感したところです」と書き、関係者を持ち上げる。「首藤モデル」とも言うべき慇懃丁寧なゴマすりだ。その一方で、彼らの上に立つ自分を暗に「自慢」しているのだ。

首藤市長にとって重要で嬉しいのは、「良く見られる」ことである。彼が唱える「延岡モデル」の「地域医療を守る条例」は、5年前のH21年9月に制定された。彼は、その年の「広報のべおか」12月号で「地域医療を守る条例は全国の注目を浴びている。延岡がうらやましいと県外の医者から反響がある。光明が見えてきた」と誇り、翌年の「広報のべおか」新年号では、「『地域医療を守る条例』の制定の他、医療シンポジュウムの開催など、本市の施策は全国の注目を集めるまでになりました」とPRした。H22年3月17日の「市長コラム」では「先日、大学の医学部を訪問したら、先生から『地域医療を守る条例』に関して高いご評価を頂いた」と喜び、さらに、平成22年の「広報のべおか」10月号の特集記事の中では、「『地域医療を守る条例』の結果は出てないが、『全国の医師から反響』がある。市民、医療機関、行政がここまで連携している自治体は他にはないからだ」と自慢した。しかし、翌年以降の「広報のべおか」の地域医療・特集記事からは、彼の発言は消えた。「地域医療を守る」運動の成果が出ていない証左だろう。彼にとって「物事の本質」とは「成果」ではなく、「良く見られる」ことなのだ。そこに、自己満足と自己利益がある。

市長メッセージに戻る。「①皆さんの魂を込めた取り組みは、知恵と工夫を生み、それが「延岡モデル」というかたちで結実したと言えるでしょう。②医師確保に奔走することも大事ですが、「表面的な取り組み」に終始することなく、③物事の本質を捉えて、そこに迫る効果的な手だてをとことん考えてきたことが成果につながったのです」と結ぶ。①の前段では、またもや皆をおだてあげ、後段では横に座った女性準教授が延岡の市民運動を知っていただけの現象を捉えて、皆さんの努力が「延岡モデルというかたちで結実した」とする。  そもそも、“地域医療”における“延岡モデル”とは何なのか。“地域医療”と“延岡モデル”で検索しても数件しかヒットしない。そのうちの多くは首藤市長が発信元
である。彼は、「『実体のない延岡モデル』に皆さんの努力が結実した」と言っているのだ。これは虚偽の論法だ。 さらに、彼は②の中で、喫緊の医師確保を「表面的だ」と蔑み、③において、「地域医療を守る」運動や宣伝活動を「物事の本質」を捉えた対策だと解説し、「成果」につながったと主張する。その「成果」の実態は、準教授が延岡の運動を知っていただけの事である。この①~③には言葉で人を騙す彼特有の「詭弁」が弄されている。

市長は続けて、「これは他のどんな分野においても同じで、難問に対峙する時こそ、その問題の本質はどこにあるのかをまずは明らかにすることに神経を使うべきです」と職員に説く。彼にその資格はあるのだろうか。彼は、「地域医療を守る」運動を地域医療問題の本質対策をだと言うが、5年を経過した現在、コンビニ受診の解消以外さしたる成果はない。当初は「広報のべおか」などで盛んに喧伝していた彼も今では口を噤んでいる。延岡市の地域医療問題の本質的な対策は「医師や家族が住みたいと思う魅力ある都市づくり」だ。しかし、これは難題だ。首藤市長は、これには対峙せず、安易な「地域医療を守る」運動を本質的な対策として市民を欺き、そこに逃げる。困難な課題を回避し、代わりに頭脳と言葉だけで、夢や理想を語るのが彼のエートスだ。その裏には、難題に取り組み成果を上げられず評価を落とすことを避けたいとの思いと、夢や理想を語り市民に希望を持たせ、自分の評価を高めたいとの「自己利益」がある。そこには市民の幸福や市の発展を目指す志はない。

市長は最後に、「県外の国会議員から、富山和彦氏の著作を紹介され読書した。皆さんも読むように」と促す。言外に①私には国会議員など豊富な人脈がある。②私は読書家で、本から新しい知識を常に吸収しているとの自慢が見える。このように首藤市長は、自分を「優れた市長だ」と思わせるために「市長メッセージ」を書き続けているようだが、その狙いとは裏腹に、自ら「詐欺師的な人物である」ことを端々に露呈する結果になっている。 ところで、市長は「市民の声を反映する」として、「市民協働まちづくり懇談会」を盛んに開催しているが、首藤正治市長の場合、「市民の声を反映する」との言葉を額面どおり受け入れることはできない。言葉の裏の「自己利益」を疑う。今回選挙の対立候補・小田忠良氏は「現市政は市民の声を反映しようとしていない」と喝破しておられた。 一般市民ならともかく、延岡の市長は毫も詐欺師的であってはならない。なぜならば、市民のために使われるべき「権限と財源」を、13万人都市・延岡で唯一1人だけ委任されているからだ。
 

(九保大新学部)県北市町村にも支援金を求める延岡市長の身勝手

 投稿者:松下 潤治良  投稿日:2014年10月 1日(水)21時01分21秒
返信・引用
  首藤延岡市長は市町村が連携する「広域行政」の必要性を強調する。「国は地方自治体に『広域行政』の推進を求めている」と言うのが口癖だ。「延岡市単独では出来ない事も、9市町村が連携すれば可能になる」とも言う。因みに、延岡市は平成21年、県北9市町村が広域的に連携する「県北定住自立圏」のリーダー的な役割を担うため、「中心市の宣言」を行っている。その上で延岡市は、「広域行政」の一環として北部広域行政事務組合(代表理事・首藤正治延岡市長)を通じ、「広域観光戦略」を進めている。その一つとして、宮崎空港に就航しているソラシドエアの機体側面に各自治体の観光をPRする広報活動がある。この7月11日、宮崎空港で運航開始セレモニーが開催された。9市町村の首長たちが出席した、その様子はテレビで放映され、新聞にも掲載されたが、主役は延岡市長。その「顔」と「主張(自治体単独ではなく、こうして県北が連携すると宣伝効果も大きくなる)」が各社報道陣によって大きく放映・掲載された。

こうした観光戦略は「総花的で高千穂など有力な観光地の印象が薄められ逆効果」との見方もできるが、いずれにせよ、「イベント」で最大の宣伝効果を享受したのは首藤正治延岡市長だった。因みに、県内5自治体も同じ広報活動をすでに実施中だが、いずれも自治体単独で観光地を広報している。私が知る限り、どの首長も延岡市長のように取り上げられることはなかった。「広域的行政活動」は「単独の行政7活動」に比べ、活動内容やセレモニー・イベント・会議なども規模が大きくなる。従ってその分、メディアが大きく取り上げてくれるという特典が生じる。そして、延岡市長に見るように、常に中心都市の首長が大きく報道される。自己顕示欲が強く、パフォーマンス志向の延岡市長が「広域行政」の推進に熱心な理由の有力な一つだろう。

さて延岡市の9月議会で、九保大の支援に関する論戦が行われた。そこでも、首藤市長は広域行政(県北定住自立圏)の必要性を強調した。「人口減少の問題は延岡市だけでなく、県北圏域全体の課題だ。若者にとって魅力ある圏域づくりを(広域的に)行なう必要がある」。延岡市長の思惑は何か。 ①延岡市単独の人口減少対策を県北全体の課題へと拡散して、市長としての責任を薄める狙いに加え、②県北全体のリーダーとしての立場を誇示したいとの思いもある筈だ。さらには、③こうした「広域行政」活動自体が、「自身のPR」や「自己顕示」に大きく役立つという思惑もあるだろう。

延岡市長の枠を超えて、「県北総市長」を意識するように映る首藤市長の新たな戦略が見えてくる。市長は8月27日の夕刊ディリー紙上で、九保大支援7億円の【根拠】を市民向けに説明。その中で、「新学部設置は県北全体に各種効果がある。従って、延岡を除く県北8市町村も支援を負担すべきだ」との理論を盾に、延岡市の九保大支援7億円の一部を県北9市町村が肩代わりすべきだと主張。北部広域行政事務組合(代表理事・首藤延岡市長)を通じて拠出させる事にした。九保大設置時の議論や、今回の新学部支援の是非の議論に参画できない周辺自治体が、延岡市長の「都合」のために支援金だけを拠出するのは奇妙な話である。金額の多寡ではなく、延岡市長の自己中心性が問題である。9月市議会で市長提案(九保大支援7億円)は可決されたが、「学生の確保は大学の責任だ」「ほかに喫緊の課題があるのでは」「新学部ができても、これまでの学生の減少分を補うに過ぎない。新たな経済果といえるのか」「経済効果があるというが、一部の人や団体ではないか(注1)」などの疑問が噴出。因みに、卒業生のうち延岡市に就職するのは「6%」に過ぎないという指摘もある。

このように、延岡市においてすら、九保大支援に疑問の声が多く、市長と延岡市民との「合意形成」もない中、延岡市長は周辺自治体に「補助金」の拠出を誘導し、確定する。国が薦める「広域行政」を「虎の威」にした理不尽な要請であり、中心都市の延岡市長による周辺市町村への巧妙かつ傲慢な【上納金】の強要だと言える。こうした手法は、市町村の「主体性」を重んじるべき「広域行政」の基本に背く。繰り返すが、延岡市長は「新学部設置は県北全体に各種効果がある。従って、延岡を除く県北8市町村も支援を負担すべきだ」として周辺自治体へ財政支援を要請する。一理はあるが、強者による自己中心の発想だ。狡猾で品格のない「がめつさを」感じる。この理屈が通るならば、周辺地域の自治体は今後、事あるごとに財政協力を余儀なくされる。中心都市・延岡の自己中心的な主導性が県北の「不和の種」になり、県北発展の阻害要因になりかねない。

「広域行政」では中心都市の首長の「良し悪し」の影響が、当該都市のみならず地域全体へ及ぶ。その首長が利権団体や一部の市民の利益を優先するなど【親疎の区別に捉われる性格】の場合には、中枢から疎遠な周辺自治体が蔑ろにされ、これまで以上に状況が悪化する事になりかねない。自分たちが選んではいない中心都市の市長の資質によって、自分たちの生活が悪化する事態は受け入れがたい。県北地域では、「県北定住自立圏」のリーダー首藤延岡市長の「良否」が延岡のみならず県北地域全体に影響する。言葉優先の唯我独尊的な延岡市長のリーダーシップが、元気な日向市や門川町の勢いを殺いだり、他の町村の地道な努力を邪魔するなどの事態は好ましくない。作文重視・イメージ重視の延岡市の行政体質が、職員が少ない他の自治体に浸透し、新たな負荷を生むような事態も好ましくない。

「広域行政」において第一義的に重要なのは、県北9市町村の「独立性」が損なわれない事である。それぞれの地域を良くして行こうとする市町村の「自主性」「自律性」の邪魔をしない事だ。その事を基盤として、「広域的な」連携・協力が実効的に推進されるべきである。「県北定住自立圏」の中心都市である延岡市の首藤市長に求められるのは、「自己中心的」なリーダーシップではなく、周辺自治体(8市町村)との「和」を基調とした広域連携の推進である。
                                                                           松下潤治良

(注1)首藤市長には過去に、 「経済効果」を重視し、清本鉄工がある大連市との友好都市締結や大型訪問団などに税金を投入した前歴がある。「経済効果」が優先されれば、大学の拡大、縮小、閉鎖の危機に際しても市民生活を犠牲にする税金投入が実施されかねない。



 

(九州保健福祉大支援)「7億円補助の根拠」が明らかにした延岡市長の「詐欺師」的な本質

 投稿者:松下潤治良  投稿日:2014年 9月17日(水)19時26分55秒
返信・引用
  首藤市長は、九保大(九州保健福祉大)から「新学部開設費用15億円の半分程度を補助して欲しい」と要請されていたが、8月25日の記者会見で「7億円を財政支援する。この額は先方から要請された半分程度ではなく、独自の効果算定に基づくものだ」と自身の主体性を強調。そして2日後の27日には、地元夕刊紙の1頁全面を使い、「7億円補助の根拠」の説明文を掲載させた。この説明文の特徴の一つ目は、市長発表の補助金「7億円」を正当化するために各種の数値・算式を盛り込み、市民の関心を経済効果の「有り無し」に誘導し、市民を納得させようとする【狡猾】な内容になっていることだ。二つ目の特徴はさらに悪質だ。市民の不満をなくすため、不都合な事実(新学部を開設しても九保大の学生数は増えない)を【知らん振り】して、新学部開設による経済効果が現状に加算されるような印象を与える論述になっていることだ。

【狡猾】な内容の第1は、九保大のこれまでの経済効果を、「広報のべおか」(8月号)に引き続き取り上げ、執拗にPRしていることだ。「これまでと同様に新学部も、延岡に大きな経済効果をもたらす」という先入観を市民の心に刷り込むためだろう。【狡猾】な内容の第2は、本題の新学部開設の効果算定に関して、効果の高いケースと低いケースの二つを試算し、全学生が揃うまでの4年間の経済効果を、高い方で約8億円、低い方で約7億円と算出。「補助額は低い方の7億円を採用する」としたことだ。市民の歓心を得るためと、市民に「『7億円』の支援額は大きくない」と思わせようとするずる賢い思惑がある。二つの値札を示し品物を買わせる小利口な子商人の発想だ。

【狡猾】な内容の第3は、起債した補助金の償還期間を15年間とし、その間の経済効果を40億円、波及効果を59億円として大きく取り上げていることだ。市民に対し、1.この分だけ、経済が良くなると期待させる。(後述するが、この効果が現状に上乗せされる訳ではない)2.市民に対して、「補助金『7億円』に比べて格段に高い効果をもたらす」と思わせようとの思惑がある。因みに、これらの試算は九州経済調査会に委託している。市役所にも同様の試算能力はあるはずだが、税金を使ってまで他の機関に依頼した真意は何か。市長たちが発表する数値に権威をもたせるためだろう。しかし、試算の前提を作るのは市長たちだ。自分たちに都合の良い数値へと導くために知恵を凝らすこともできる。

さて、市長は「7億円」の根拠を「新学部の学生が揃う4年間に市が享受する経済効果」としているが、たまたま、「7億円」という予定数値に合致したので、そう説明しているに過ぎない。これが10億円や4億円など「7億円」とは異なる数値が出れば、違う「根拠」を考え出したに違いない。市長は当初から、「九保大が要求する『15億円の半分程度』を支援したい」と公表しており、先方の要請金額に縛られていたのは明らかだ。しかし首藤市長は、「そうではない」とする【根拠】を考えだす。夕刊紙を利用して、市民の心を自分の方向へ説得・誘導しようと企むが、逆にその紙面から、首藤市長の【狡猾】な心が見て取れる。【狡猾】な人間は、その能力を他人のためより、自分の利益のために優先的に使う。今回に限らず、首藤市長の行政運営には【狡猾さ】が見え隠れする。しかも、その【狡猾さ】が【高度】な知恵や博識と結合しているから極めて始末が悪い。

以上は地元夕刊紙に掲載された「7億円根拠の説明文」に見る、首藤市長の【高度】な【狡猾さ】を示す事例なのだが、今回の説明文書を通じて、その【狡猾さ】以上の【悪質さ】を示す「事実」が判明する。
市長は、「新学部開設後の4年間で7.3億円の経済効果が、15年間で40億円の経済効果と59億円の波及効果がある」と市民に公表した。市民は当然、今後この経済効果や波及効果によって延岡の経済状況が今より良くなると期待する。しかし、延岡市民が、これらの経済効果を実感することはない。何故ならば、九保大は新学部開設によって、確かに60人増員するが、他の学部で60人削減するので、学生の総数は増えないからだ。延岡市の経済にとっては、新学部の人数以上に重要なのは、全体の学生数である。しかし市長は、この重要な事実を【知らん振り】する。その上で、新学部60人分の経済効果額を詳細に計算し新聞紙面で大々的に広報する。だが、マイナス60人分の、同額の損失額については【知らん振り】だ。

九保大支援への市民の理解を得るという自己利益のため、不都合な真実を【知らん振り】し、市民を欺き籠絡する首藤正治市長。不都合な事を【知らん振り】するかどうかは、リーダーの適性を知る最高の試金石である。首藤市長の場合、好都合な情報は必要以上に流すが、今回に限らず、不都合な事は【知らん振り】をして自己利益を求める習性が見受けられる。例えば、平成22年1月に行われた2期目の選挙の際も、彼は60項目からなるマニフェストを発表したが、「新庁舎建設」については、反対票が増えるのを計算。一言も触れず【知らん振り】を通し、再選を果たした。類似の事例は他にもある。暴力団が身分を隠し、ゴルフ場を利用した事が、【詐欺罪】に問われる事件があったが、首藤市長の不都合な事実の【知らん振り】は、これと同根ではないか。もはや、【狡猾な人物】という範疇から、【詐欺師】の範疇へ移行されるべきだろう。【詐欺師】は自分を善人に仕立て、言葉巧みに利益を手に入れようとする人種である。「言葉」と「心」が分離している人間を言う。豊富な語彙を巧みに操り、自己利益のために市民を籠絡する首藤正治市長。延岡市における問題の根幹は、【詐欺師】の特性に重なる人物に権力と財源を委ね、延岡の舵取りを任せていることである。市民すべてに強い監視力が求められる。

追記1:以上は、市長の人格的な面に見る問題点だが、市長の「税金の使途の優先度」にも問題がある。今回の大学支援の【根拠】でも明らかなように、税金の使い道を経済効果優先で判断する傾向がある。累進課税制度で集められた税金は、市民の幸せのために公平に使われるべきだ。しかし、首藤市長の下では、その税金が大学経営安定のため、そして大学生のアパート建設やアパート経営者など偏って使われる。高齢者や障害者など弱者への配慮、街や公共施設の清掃美化、魅力あるまちづくりなど、市民サービスへ金がまわらなくなる。市長は、「他にもお金が必要な事が沢山あるのではないか」という市民の質問、即ち市長としての重要課題に真剣に答える必要がある。

追記2: 市長は新学部の定員数240人(60人×4学年)の15年間の経済効果を40億円、波及効果を60億円と計算して見せたが、その15年間の10年後の2040年には、日本創成会議が「896自治体(県内15市町村)が若年女性人口50%以上減少し、消滅の可能性がある」と指摘している。延岡市は47%でそれに近い。市長は、この後15年間、そしてその後の新学部を含む九保大の学生数の推移をどう見ているのか。一方で、すでに延岡市の人口は北川合併当時の13.5万人から8月1日時点で12.7万人へと8,000人が減少し、莫大な経済損失が生じたことになる。市長には「東九州の基幹都市・延岡市」のOECとしての危機感と自覚が求められる。
 

(九保大新学部支援)市民を篭絡する不誠実な市長の理由説明

 投稿者:松下潤治良  投稿日:2014年 9月15日(月)19時58分24秒
返信・引用
  延岡市の九州保健福祉大学が、市長に学部新設への支援を求めている。そんな中、首藤市長が、「新学部開設支援について」(6月30)と題する「市長メッセージ」を書いて支援理由を説明している。「虎の威を借りる」習性が強い首藤市長が、目に着けたのが、日本創成会議の「大学へ投資できる制度が必要」という文言だ。「人口減少を防ぐ『処方箋』が示されています」と述べ、支援の理由として冒頭に取り上げている。これは、同様に九保大支援を主張する「市長コラム」(7月10日)や「広報のべおか」(7月号)でも見られる段取りである。だが、市長が取り上げた件は文書全体のほんの瑣末部分に過ぎない。日本創成会議は先ず、①自治体すべての今後30年間の若年女性の人口減少率を算出し、50%以上の自治体896を「消滅可能性都市」と命名。全国の自治体に警鐘を鳴し、②その上で、「人口減少対策」に関する多岐に渡る論述を展開。延岡市を含む全国の自治体に、「若者世代の経済的基盤の確保」、「若者に魅力ある都市づくり」などに関する長期ビジョンと総合戦略の策定と実行を求めている。つまり、基盤的な「地方の建て直し再興」を要請しているのだ。これに対して延岡市長は、根幹をなす重要部分は一切触れず、ほんの数行だけ書かれている枝葉部分だけを大々的に取り上げ、自己都合のために利用している。

実は延岡市の同女性減少率は四捨五入すれば50%。実態は「消滅可能性都市」なのだが、市長はこの事実に言及することはなく、【知らん振り】をする。そして、同会議が求める「地方の建て直し再興」に関しても【知らん振り】を決め込んでいる。市長が知って、市民に知らせるのは、「大学へ投資できる制度が必要」という文言だけである。元総務大臣の増田寛也氏を座長とする日本創成会議のメンバーは、自分たちが警告・提唱する根幹部分を無視、日本創成会議の名前をかたり、自己都合の些末部分だけ利用する延岡市長の狡猾な対応に怒りを禁じえないのではないか。延岡市の人口は減少中だ。平成25年度は▲1,151人、24年度は▲1,156人。数年前まで13万人台だった人口は、今では12万台に落ち込んでいる。一方、市長が人口増の効果を喧伝する九保大新学部の学生数は60人。延岡というバケツに方々で穴が開き、人口という水が漏出している。穴を防ぐ努力を怠り、お猪口の水を注ぐだけの首藤市政。自己都合の指示された「処方箋」だけ行なうのは、自己中心のわがまま患者の心得。市長の心得ではない。

さて、冒頭で「虎の威を借りた」首藤市長は、市民の「(1)他にもお金が必要な事が沢山ある(2)一つの私立大学に何度も資金援助するのはおかしい」と言う声を取り上げ、先ず(2)に関して4っの観点から反論を述べている。

その1「九保大新設の際に国・県・市で80億円、薬学部開設に市が20億円の補助を行った。九州経済調査協会に委託して調査したところ、(中間報告として)直接経済効果が500億円、間接効果も含めると700億円以上という結果が出て.る。成功だった*」。市長は、「だから、今回の九保大補助も成功する」と市民の心を誘導するが、今回も同様に成功すると言う保証はどこにもない。(*これを言うために急遽、わざわざ調査機関に税金を投入した)

その2「大学の新学部を誘致したいという自治体は多いでしょう。九保大の姉妹校、吉備国際大学の最近の新しい学部を見てみると、南あわじ市や岡山市に開設されており、南あわじ市は相当な規模の金額の開設支援をしています。その土地に既存の大学であっても、新学部開設に際して市のサポートの熱意がなければ他の都市に流れてしまうのが現実です。延岡市はメディカルタウン構想に邁進、大学に新展開を要望してきました。だからこそ、生命医科 学部設置の第1候補として延岡市を考えてくれたのだと思います」。市長は何を言いたいのか。「もたもたしていると新学部は他市へ持っていかれるぞ。  しかも、この新学部設置は延岡市から大学へ要望していた。断るわけにはいかない」と延岡市民の心を【篭絡】する。慇懃丁寧な説明に潜む「脅迫」といえるだろう。
 その3「新設の生命医科学部はどんな地域貢献につながるのか。ここで臨床検査技師や細胞検査士が養成され、ガンの早期発見という分野で大きな力を発揮してくれることになる。ましてや、がん細胞研究所が併設される。国家戦略ともいえる再生医療分野のiPS細胞のガン化研究が主要テーマに設定されている。これも大きく地域活性化に貢献してくれると思う」。市長は言葉巧みに将来の可能性を語るが、その通りになる保証はない。

その4「(イ)大学への補助は、地域へより大きなリターンを期待する【投資】的な意味合いを持っている。別個の企業誘致案件のような気持ちで取り組む必要がある。(ロ)だから支援の回数自体は本質的な問題ではないと思う」と述べている。市長は(イ)を(ロ)の「支援の回数自体は問題ではない」と言う「いい訳」だけに利用し、ここで触れるべき二つの事に【知らん振り】している。一つ目は支援金額(投資額)に触れていないことだ。市長が(イ)で述べているように、大学支援の是非は、支援金額(投資・Investment)に対する見返り(Return)、すなわちROI的な観点から判断されるべきことであり、市長が強調するメリットやリターンだけでOKと判断される事はありえない。ただし、ROI(Return On Investment)が高ければ、それで即OKともならない。税金を使うべき他の件名との優先度などの検討が必要だ。市長が【知らん振り】している二つ目は、市民の「他にもお金が必要な事が沢山あるのではないか」という重要な質問に答えていないことだ。他に税金を投入すべき件名。それら件名の中における本事案の優先順位。財政状況。-などを明確にした上で、総合的な観点から支援の是非と金額が決められるべきである。

ここで、市長の「大学支援の理由」を今一度整理する。①日本創生会議が大学支援を勧めている。②これまでの九保大支援は成功だった。③新学部開設は市の要請。早く決めないと他市に取られる。④新学部開設は延岡に夢をもたらす-というのだが、メリットだけを列挙しているに過ぎない。言葉巧みに理路整然と述べ市民の心を自己都合の方向へ誘導しょうとの意図がある。物事がメリットやリターンだけで決まるのであれば、支援金額は相手が要求する17.5億円でも、全額の35億円でもよい。際限なくOKだ。少子化の中、今後の九保大からの支援要請に対しても、何らかのメリットを見つけ、限りなく支援を続けることになる。今回の市長メッセージ(6月30日)、市長コラム(7月10日)、そして広報のべおか(7月号)。いずれも、九保大関係者が書いたと言われてもおかしくない九保大寄りの内容だ。首藤市長は最後に、「私の考え方を職員の皆さんには明確に理解していただいて、対外的な発言の機会が あれば、是非ともこうしたことを熱意を込めて述べていただきたい」と結んでいる。市長は職員に対して九保大寄りの立場で市民を説得するように求めているのだ。
それはさておき、最後に指摘すべき首藤正治市長の悪質さは、あらゆる場面で、不都合な事柄に【知らん振り・事実隠し】を繰り返し、言葉巧みに市民を【誘導・篭絡】していることだ。市長として許されるべきことではなく、許してはならないことである。

 

(延岡市長の問題)市民の声を封殺する首藤市長

 投稿者:松下潤治良  投稿日:2014年 4月28日(月)10時15分21秒
返信・引用
  「市民協働のまちづくり」という民主政治を掲げる延岡市長。しかし、実態は真逆だ。前回も取り上げたが、「職員へのメッセージ」(2月28日)では、市民の「イベントを市民にやらせることで、市役所が本来果たすべき責任から逃避している。市民力が高いなどと、行政がきれいごとを口にするのはおかしい」という意見をやり玉に挙げて、「世の中にはいろいろな受け止め方をする人がいる。いわれなき非難の声だ」「そんな外野席からの声に惑わされる必要はない」と主張している。首藤市長にとって、自分の考えこそ絶対正しく、自分にとって都合のよくない意見は、「人を惑わす」悪い意見なのだ。そんな意見は、延岡からは消し去ろうと「職員へのメッセージ」を通じて、市の職員や市民に呼びかけている。

そして1月後の3月31日の「職員へのメッセージ」の中でも、同様に市民の声を非難する発言を繰り返している。「高速速道路時代に、『市民』の地元観光資源に対する肯定感はあまりにも低い。『延岡には何もない』という、根拠のない決めつけの言葉を、今でも耳にすることがあるが、それは自傷行為に近い」。首藤市長は「延岡には何もない」という市民の生の声を「根拠のない決めつけだ」と決めつける。「延岡には何もない」と言うのは表現的には言い過ぎかもしれないが、実態を表す市民の「生の声」なのだ。しかし、市長は「そういうことは言うな」と市民に説教する。上段で取り上げた、市民の『イベントを市民にやらせることで、市役所が本来果たすべき責任から逃避している』という意見に対しても『そういうことは言うな』と市長目線で市民に強要する。いずれにせよ、都合の悪い声は弊履のように捨てる。これが首藤市長の裏に隠された本質である。
その首藤市長が、「延岡には何もない」と言う市民に対して「市長メッセージ」の中で続けて反論している。「昨年東京ガールズコレクション(TGC)を実施した際には、開催前にネット上で、『延岡は田舎で何もないのにこんなところでTGCをやるなんて恥ずかしい』というような声が結構飛び交っていたが、終わってみれば大成功。郷ひろみさんや土屋アンナさんやモデルさんたちも延岡を絶賛してくれた。私たちはみんな誇らしく感じたのではないですか」と。しかし、この主張は「延岡には何もない」という声へ正面から答えてはいない。ずる賢い首藤市長の詭弁的な論点はずしだ。話を自分有利な部分に持ち込み、自己自慢や自己主張へと話をすり替える。首藤市長の常とう手段である。
首藤市長はTGCの開催に疑問視する市民に、「私が進めたTGCは大成功だった」と強調する。しかし、市民は何のつながりもない延岡でTGCを突発的に開催する事を疑問視しているのであり、観客数の多寡は問題にしていない。しかし、市長は、そのことを承知の上で、意図的に話の論点を外し、観客数に焦点を当て「大成功だった」と自慢し、そこを話の中心に据える。さらに、「郷ひろみさんや土屋アンナさんやモデルさんたちも延岡を絶賛してくれた。私たちはみんな誇らしく感じたのではないですか」と続ける。絶賛はともかく、彼らが褒めるのは当然のことだろう。その褒め言葉を前面に持ち出し、「私たちはみんな誇らしく感じたのではないですか」と言う。最も誇らしく思ったのは功名心の強い首藤市長自身だろう。「市民みんなが誇らしく感じた」と言う首藤市長。すなわち、「自分と同じように市民も感じるはずだ」と考える首藤市長。「市民感覚」が決定的に欠落している。

それにしても、首藤市長は事あるごとに、TGCを取り上げ自慢する。市HPの市長コラム(H25.4.12)にも「先日の東京ガールズコレクションは大成功だった。この東京ガールズコレクションに関わった市役所職員は体調を崩す人が続出だ。皆には苦労を掛けた」と言いつつも、その成功を自慢する。職員のことより、自分が主導するイベントが大事なのだ。2月28日の「職員へのメッセージ」でも、「TGC大成功」と繰り返す。市民ボランティア650人、市役所職員250人、合計900人のボランティアが投入され、数千万円の税金が投下されたTGC。つながらない、一過性のこのビッグイベントの真の目的は何だったのか。延岡市民のため、延岡市発展のためのものだったのか。そうではないだろう。市長たちだけが、「大成功」「大成功」と喧伝する事実に照らせば、首藤市長の「属人的な自己顕示欲・自己評価UPのためだった」とするのが最も合点のいく答えである。

首藤市長には書物や頭で考える習性が根付いていて、現実を直視しながら問題を解決する、あるいは困難な課題を遂行していく能力が育っていない。「良い教師は生徒から学ぶが、ダメな教師は書物から学ぶ」というフランスの諺に鑑みれば、まさに、首藤市長は後者のダメ教師、すなわちダメ市長に該当する。書物から得た自説を唯我独尊的に市民に教示するのではなく、不都合な事実や聞きたくない意見にこそ、延岡市民の幸福や延岡市の発展に資する内容があることを知るべきである。稲森和夫氏や他の著名人の言動を引用して、市役所職員や市民に訓示を垂れ、その一方で自身の都合に合わない市民の声や意見を潰そうとする。その不都合な市民の意見や声を無視する首藤市長の姿勢は、「朝鮮民主主義人民共和国」の金正恩の姿勢に重なる。延岡市も、市民の声が通らない発展性のない閉塞社会に堕していく可能性がある。

首藤市長は、自分に都合のよい「甘言」ではなく、都合の悪い「直言」や「諌言」こそ、尊重すべきである。そうした声は偽りのない正直な声である。「甘言」を言う人間と違い、「直言」や「諌言」をする人間は市長に見返りを期待してはいない。現状に対する正直な感想や意見なのだ。延岡市の実態や延岡市民の不満や感想を代表している「氷山の一角だ」と捉えるべきである。市長が「私心」を捨て、市民の声に親疎の区別なく応じ、それらを行政に生かし、改良・改善に結びつけていくならば、その先に東九州高速道路時代の延岡市民の幸福と延岡市の発展が見えてくる。首藤正治市長の名声も後世に輝くことになるだろう。





 

(延岡市長の問題点)「市民力」という言葉に潜む首藤正治市長の自己利益

 投稿者: 松下潤治良   松下潤治良   投稿日:2014年 4月19日(土)18時45分15秒
返信・引用
  延岡市に「市民力」という言葉を持ち込んだのは首藤市長である。「広報のべおか」の表紙の標語も「『市民力』・地域力・都市力が躍動するまち」に変わった。市長はこれまで、あらゆる場で「延岡の『市民力』は素晴らしい」「延岡の市民力は突出している」などと市民を褒め続け、頑張りを期待する。今では、市長に感化された延岡市の幹部も、商工会議会頭も、観光協会長も、そして市会議員も「延岡には素晴らしい『市民力』がある」「延岡の宝は『市民力』だと絶賛する。ちなみに、この言葉を市民からは聞くことはない。市長たちだけの専売特許である。

そもそも「市民力」とはどういう意味なのか。例えば、長崎市では「市民力」とは「市民が自主的・自発的に地域課題の克服に取り組もうとする力」と 定義している。これが正しいと思う。しかし、延岡市では違った意味で使われている。首藤市長は、市が関与するビッグイベントの後では必ず、「『市民力』が絶大だった」と行事に参加した市民『ボランティア』を絶賛する。例えば、「東京ガールズコレクションでは、約900名(13万市民の0.1%以下)の市民『ボランティア』の支えで大成功を収めることができた」「本市が誇る『市民力』・・・」と続ける。要するに、  延岡市長が言う「市民力」とは、市が関与主導するビッグイベントに協力するボランティア活動のことである。では体何故、市長は「延岡市民の『市民力』は素晴らしい」と褒めそやすのか。理由の一つは市長が重点を置く「ビッグイベント」を盛大に行うためだろう。

それでは何故、首藤市長はビッグイベントをやりたがるのか。「市民の皆さんに楽しんで頂くため」「延岡を内外に情報発信するため」などと答えるだろう。しかし、市長が触れないもう一つの理由がある。延岡市で行われるビッグイベントでは必然的に、延岡市長が主人公の扱いを受ける。例えば、東京ガールズコレクションで市長は大観衆の前で舞台に立ち、インタビューを受けたのだが、「首藤正治市長」の名前と顔は観衆だけでなく、テレビや新聞を通じて内外にも情報発信された。つまり、市長が「市民力」を巻き込んで行うビッグイベントには、市長自身の「名前と顔」を「有権者」である延岡市民の胸に刻み込む大きな作用がある。つまり、ビッグイベントには市長の次の「選挙」や「人気取り」に大いに役立つという隠れた側面がある。ビッグイベントの開催は、自己顕示欲が強い首藤市長の欲望を満たし、さらには「次の選挙運動」にも適うという一石二鳥の喜びを与えてくれる。

市長を利するビッグイベントを支えているのは市民ボランティアだけではない。首藤市長は延岡市の市HPの市長コラム(H25.4.12)に「先日の東京ガールズコレクションは大成功だった。この東京ガールズコレクションこれに関わった市役所職員は体調を崩す人が続出だ。皆には苦労を掛けた」と言いつつも、自分の配下の職員が体を壊すほどに頑張ってくれたことを自慢気に語っている。
さらに今年2月28日、市のHP「職員へのメッセージ」では、次のように「市民力」の正当性を訴え、後半では職員のボランテイア活動を褒め上げている。
「2月14日から3日間の「このはなウォーク」も大成功だった。延岡の「市民力」を大いに発揮していただいた。①ところが、世の中にはいろいろな受け止め方をする人がいるもので、②「こうしたイベントを市民にやらせることで、市役所が本来果たすべき責任から逃避している。市民力が高いなどと、行政がきれいごとを口にするのはおかしい」というような、③いわれなき非難の声を耳にすることがある。④ボランティアとして参加している市民からはそんな声は聞こえてこない。そんな外野席からの声に惑わされる必要はない」。

 以上の主張にそれぞれ反論したい。①に関して。非難めいた言い方をしているが、市民にいろいろな受け止め方や「意見」があるのが民主主義社会。②極めて正当な意見である。③「いわれなき非難」を受けているとして、自分を殉教的な被害者に準えている。自身をよく見せる首藤市長特有の巧妙狡猾な言葉遣いである。④首藤市長にとって取り巻きや、ごく一部の協力市民だけが延岡市民であり、意見を言う市民やサイレントマジョリティなど大多数の延岡市民は無視すべき存在なのだろう。北朝鮮の実情に酷似していないだろうか。
「市民協働」を標榜する首藤正治市長の下の延岡市と、「民主主義」を標榜する金正恩第一書記が率いる「朝鮮民主主義人民共和国」には共通点が多い。◎双方の指導者は、ともに視野狭窄・唯我独尊性が強く、自分は絶対正しいと過信している。市民や国民の「外野席」の声は無視される。◎ともに、気脈の合う人間だけとの取り巻き政治。◎延岡市長が舞台に立つビッグイベントと、北の第一書記が壇上に立つ大規模パレード。◎双方の指導者中心の内外への広報宣伝活動などなど。

さて、首藤市長の主張は続く。⑤ボランティアの顔ぶれを見ると、最大勢力は常に市の職員。市職員の「ボランティア」なくしては、大きなイベントのほとんど開催不能だ。皆さんには、それだけ汗を流してもらっている。天下一薪能でも、まつりのべおかでも、東京ガールズコレクション(ボランティア900人中250人が市役所職員)でも、このはなウォークでも、企画から実施に至るまで、多くの市職員の力が支えている。⑥我々は口だけきれいごとで「市民力」と言っているのではない。自らの実践に裏打ちされた中身のある言葉として、「市民力」と言っている。⑦自信を持って、「市民力が大事だ」と言い続けよう。(本当は市長力が大事) 市民力を基礎とする「延岡イズム」とでも言えるような気風をこの地に創りあげることは私にとって夢である。

再び反論する。⑤市役所職員の「ボランティア」なしにはビッグイベントは開催できないというが、多くの職員が職務としてイベント開催に携わっているのではないか。そうではない場合でも、市長の意に反することのできない立場の職員の無償活動は「ボランティア」というべきではない。指示なき強働労働と言うべきだろう。また、数多いイベントのたびに、体調を崩す社員が続出するような状況の中で、職員に延岡を良くするための主体性や自発性、そしてエネルギーは残っているのだろうか。⑥いつもは、口だけきれいごとを言う首藤市長が「市民力は実践に裏打ちされた中身のある言葉だ」と声を大にしているが、その「市民力」とは単なる市民ボランティア活動なのだから実践は当然である。

最後に市長は、⑦で「市民力を基礎とする『延岡イズム』とでも言えるような気風をこの地に創りあげることは私にとって夢である」と高邁な文章で結んでいる。しかし、実体はお粗末だ。「市民力を基礎とする」と言うが、その「市民力」とは、真の意味での「市民力」ではない。単なる「ボランテイア」などの意味である。ボランテア活動の拡大を以って「延岡イムズ」と称しているに過ぎない。自分に都合のよいビッグイベントなどで、今より多くの職員や市民がボランティア活動にいそしむ奉仕社会の実現を夢見ている。繰り返しになるが、「市民力」の本来の意味は、「自主的・自発的に地域課題の克服に取り組もうとする力」である。真の「市民力」は地域をよくするための「力」だが、延岡の「市民力」は端的に言えば、市長の自己利益に沿う「力」である。

市長のやり方が常に正しい訳ではなく、課題克服のためには市民の意見や諌言に耳を傾けることも必要だが、書物一辺倒・唯我独尊の首藤市長には、そうした器量はないだろう。自らの頑張りと責任を示す「市長力」という言葉は棚上げにして、延岡市民だけに頑張りと責任を求める「市民力」という言葉を前面に打ち出す首藤正治市長。今のままでは、延岡市が本来享受できるはずの繁栄もなく、高速道・東九州の「負け組都市」として仕分けられるのは必定必至である。首藤市長は真の「市長力」を発揮するよう心を入れ替え努力しなければならない。



 

選挙で証明された首藤正治・延岡市長の狡猾な人間性 

 投稿者:元延岡市自治公民館長 松下潤治良  投稿日:2014年 2月24日(月)22時28分58秒
返信・引用
  延岡市長の最大の課題は何だろうか。その第一は、東九州道開通に向けた準備である。北九州市・大分市と宮崎市の中間に位置し、厳しい都市間競争にさらされる延岡市にとっては最大かつ喫緊の課題だ。第二は、首藤市長が前回の選挙マニフェストの第一に掲げていた「企業誘致」等による雇用対策だ。しかし、実績を見ると、第一の課題はほとんど進捗していなし、第二の課題に至っては、誘致企業はゼロだ。首藤市長が取り組むべき、そして取り組んできた二つの課題の業績はほとんどないと言えるだろう。その他の課題として、火葬場などの老朽施設の復旧事業がある。しかし、これらは、総括副市長や部長以下の担当職員で十分こなせる、いわば通常業務の中の課題である。
さて、こうした中での2月の市長選挙。現職の首藤市長は、どのような選挙戦略を立てたのか。実績として、上記の第一、第二の課題達成を挙げるわけには行かない。そこで彼は、部下たちの頑張りが大きい老朽施設の復旧事業を「インフラ整備」と命名し、2期8年の実績として、前面に打ち出したのだ。その上で、インフラ整備が手一杯で第一の課題までは手が回らなかったとするストーリーを組み立てたのだ。第二の課題に対しては知らん振りを決め込んだ。さらに、新庁舎建設に絡めて、自分を「美化」する作戦を立てた。以下、それらについて詳述する。

【1】 「高速道路開通・準備不足に対する言い訳」。上述したように、高速道路開通に対する準備は最重要課題である。市長は、それに関して、「高速道路時代に対応するまちづくりとして、『新生のべおかプロジェクト』作成し取り組んできた」「高速道路時代に対応する都市力をつけるため大型事業に取り組んでいる。」「本格的な高速道路に備え、大型事業にしっかり取り組み都市力高めていく」と方々で強調してきた。しかし、彼の言う大型事業とは、清掃工場、火葬場、最終処分場、そして市役所などの老朽施設の建替えで、高速道路時代への備えには寄与しない。当然、県の一部からも「準備不足」と指摘される(宮日25.1.6)。市民の思いも同じだろう。延岡市の高速道路時代に向けた準備は、ほとんど進捗していないのが真実なのだ。
こうした中、選挙を迎えた彼は、次のように発言内容を変える。「これまでの2期8年は先送りされてきたインフラなど整備してきた」(当選後の記者会見)。「これまではインフラの未整備など『遅れ』を取り戻すことに主眼を置かざるを得なかった」(市長就任式)。責任逃れの言い訳だ。ここに至って、これまで「高速道路時代に対応する都市力をつけるため」と繰り返してきた大型事業を、「先送りされてきたインフラの整備だ」と言い換える。「高速道路への準備はやろうとしても、できる状況ではなかった」「遅れてきたインフラ整備を2期8年の間に私がやり遂げた」とするストーリーを構成。職員や市民の意識を変えようと企む。口のうまい首藤正治市長にとって選挙は絶好の自己宣伝の場なのだ。

【2】「新庁舎建設に絡めた欺瞞的な自己礼賛」。75億円を投じて建設中の巨大新庁舎建設には、「贅沢だ」と言う市民の根強い反発がある。市長選を前にした「新庁舎建設・特集記事」(西日本新聞新H26.1.15、朝日新聞H26.1.17)でも、『巨大な市庁舎建設には反対』と言う市民の声が紹介された。高木市会議員はブログで「機能的な庁舎で十分」と主張した。こうした中、彼は自分を立派な人間像に仕立て上げる自己礼賛の物語を考える。決起集会で「県内の首長から『庁舎建設に手をつけると選挙で負ける』と言われたが、私は損得を考えずにやってきた」と主張し、また、マスコミ各社にも、その物語を披露する。朝日新聞(1月22日)は「『庁舎に手をつけると選挙に落ちる』と忠告する県内の首長もいたが、やるべきことをやるのが自分の誇り」と首藤市長の物語を報道、宮日新聞(1月28日)も「(首藤市長は)『庁舎建設に手をつけると選挙で負ける』とのジンクスもある中、告示前での決起集会では『損得を考えずにやってきた』と市長としての姿勢や信念を強調した」と首藤市長の物語を伝えた。しかし、これは票を増やすために、「不都合な事実」を隠して自分を立派な人物に見せようとした詐欺師の物語なのだ。

詐欺師は話の組み立てが上手い。最初に「県内の首長から『庁舎建設に手をつけると選挙で負ける』と言われた」と布石を打つ。「それでも私は損得を考えず手をつけた」と話を転換し、自分を立派な人物に仕立てるのだ。そもそも、市民はもはや、建設自体に反対しているのではない。75億もの贅沢な内容に無駄だと反発している。彼は、それには答えず、あえて庁舎建設の決断へ話を移し、物語を作った。しかし、その部分にこそ重大な「不都合な事実」が隠されている。前回2期目の市長選は、平成22年2月に行なわれた。彼は、この時60項目に亘る膨大なマニフェストを発表したが、「新庁舎建設」はどこを探してもない。つまり、彼は選挙で落ちることを恐れて隠したのだ。その彼が、今になって、「県内の首長のアドバイスも聞かずに損得を考えず庁舎建設に手をつけた。これが私の誇り」だと嘯いている。そして、再選された彼は、その直後に九保大副学長を委員長とする「新庁舎建設検討『市民懇談会』」を設置したのだ。そこに彼が唱える「市民協働」の動きは微塵もなく、『市民懇談会』と言う名の独裁でことを進めた。これらの事実の中にこそ、狡猾で醜い首藤正治市長の姿を見ることができる。

【3】首藤市長は、市民に期待を持たせてきた「高速道路開通」が近づくにつれ、「それだけで良くなる訳ではない」と言い方を変え、さらに、「市民の頑張りが前提だ」と、市民の頑張り要求しだした。以前は、高速道路さえ来れば、「それだけで」企業誘致が進み、雇用が増えると主張し続けた。北川第一トンネル着工式(H22.12.24)では「地域の将来は高速道路の整備に掛かっている」と述べ、北川第二トンネルの貫通式(H23.12.27)でも「県北における高速道時代の黎明は近い。トンネルの向こうに光明を見る思いだ」と述べている。彼は、市民の努力を前提としない「高速道路バラ色論」を展開し、市民の期待を煽っていた。ところが、東九州道開通が目前に迫った今回の選挙後の記者会見では「高速道路が通っても、自動的にバラ色になる訳ではない」「高速道路は道具だ。市民は傍観者にならずに、道具をどう使うか努力して欲しい」と市民の努力の必要性を強調している。うまい儲け話で客を集め、契約段階で多額の金額を請求する投資詐欺と同根だろう。

商店街にも努力を求める。当選後の記者会見。「高速道が通れば、①大分市や宮崎市からも多くの客を呼び込める。商圏人口も50万人にも、70万人にもなりえるという捉え方が重要。延岡の商店街は、より魅力ある店作りをする工夫と努力が必要。②行政は人通りを増やすイベントを増やすなどの仕掛けは可能だが、③この店にどれだけお客さんが入り、どれだけ買い物をしてくれるかについては行政が立ち入る部分ではなくなる。④その努力をしていただきたい。「市民協働」を唱える市長だが、商店主たちと「協働」する気持ちは一切ないようだ。
①は、実情を無視して理想を追う机上の空論だ。商店主に頑張りを求めるが、自分は具体的にどのように努力するのか示すべきだ。②イベントで一時的に人通りを増やすだけが行政や市長の役割ではない。自分をPRできる安易なイベント活動に逃げているとしか思えない。定常的に人を呼び込む実体的な「魅力あるまちづくり」を主導するのが市長の役割ではないか。③は、④の商店主の頑張りを求めるために張られた、行政の責任逃れを兼ねた伏線。商店主たちは、口のうまい市長に言い含められて、頭ではなんとなく納得させられるが、心は納得せず、モチベーションは上がらない。敷衍して、市役所職員や延岡市民にも言えることではないかと思う。

今回の市長選で示された首藤正治市長の優れた頭脳を駆使した狡猾で卑しい選挙戦略。職員たちの業績とすべき「老朽施設の建替え事業」を「インフラ整備事業」と称し、己の実績としてPRする。重要課題である高速道路対策は「インフラ整備」で手が回らなかったと巧みに嘘をつく。企業誘致は頬被り。不都合な事実を隠し、自分を立派な人物に仕立てる自己礼賛の物語。こうした首藤市長の悪知恵を凝らした「すべて」を、マスコミ各社が繰り返し広報宣伝してくれる。狡猾で口のうまい首藤市長にとって、選挙はマスコミと市民を騙す最高の舞台なのだ。それにしても、マスコミと市民は、詐欺師のような頭脳を駆使し、詐欺師のように言葉を操る偽善者・首藤正治市長にいつまで愚弄されるのだろうか。

(注)今回取り上げたのは3項目だが、他にも自己都合の発言や、自分のイメージアップを図る言葉遣いなど不誠実な人格を窺わせる事例が多く見られた。
 

【宮崎県・延岡市】市長選が浮き彫りにした首藤市長と議員の癒着関係

 投稿者:元延岡市自治公民館長 松下潤治良  投稿日:2014年 2月14日(金)16時08分40秒
返信・引用
  市会議員は市長の市政運営を監視・監督しなければならない。しかし、延岡市では、市長と議員は協力関係にあるようだ。市長が「行政と議会は『よりよい延岡市の創造』のために協力しなければならない(市長コラム07.6.27)」と言葉巧みに議会を洗脳し、一方で、議員との個人的友好関係を創り上げているからだと思われる。議員たちも、市長が力を入れるイベントや市長主催の市民懇談会に顔を出す。2期8年の間に、市長と議員個人との癒着関係はますます進んだのではないか。そのことを浮き彫りにしたのが、1月26日の延岡市長選だった。そこには、現職候補を必死に応援する市議会議員たちの姿があった。代表例として、内田リサ議員の応援活動を見る。

彼女は、市長選公示日(1月19日)の首藤候補の個人演説会で次のように演説している。(同議員の1月20日のブログ)
「私は、8年前の市長選挙で、首藤さんの事務所に半年いました。その半年間、毎日、幟を持ったり着ぐるみを着たりしながら、毎朝、毎夕、首藤さんと街頭に立ち支援を呼び掛けました。突風の吹くなか、寒くて、(2人で)励まし合いながら、毎日立ちました。2人で辛くならないよう楽しむような気持ちで、立ち続けました。そして、半年間、200~300軒をリーフレットを持ち、後援会への勧誘をして参りました。時には、私が運転手となり、首藤さんと回ったり。市内の半分は私が廻りましたよ」。

「私は、言われたからではなく、自ら応援したくやっていましたので、土日も休まずやりました。今も首藤さんを応援する気持ちは変わりません。議員という立場ですが、近くで8年間首藤さんを見てきました。「ベクトルは市長が示して」、私達がさらに新しい延岡市を創っていきたいですね。私は、これは「恋愛と一緒」だと思いますが、この人と思ったら、「信じて」、何があっても応援する気持ちを貫いていきたいんです。「信じる」ことにより、すごいことを形に残せるような気がします。本当に辛いとき、存在を感じていただければいい。首藤さんを応援していくんだという覚悟みたいなのを伝えたかった。首藤さんが市長であり続ける姿をみていきたい。一緒に頑張りたい」。

これは、市長と議員の関係ではない。市長を恋人や宗教の教主のように慕う議員に行政を監視する機能はない。首藤市長は内田議員が、尊敬し信仰に近いほど「信じる」に値するような立派な人物なのだろうか。そうではなく、市長からの心配りがそうさせるのではないか。彼女の議員当選にも当然、市長の支援があっただろう。また、市長は議員となった彼女と陳情に出かけたり、地域医療会議などの後の宴席に呼んだりしている。「市長を信じ」「市長が示すベクトルに従い、新しい延岡を創る」というが、市長の示すベクトルが常に正しい訳ではなく、間違いもある。市長の「ベクトル」を市民の視点からチェックするのが議員の役割である。これは内田議員だけのことではなく、他の議員にもいえることだろう。

今回の選挙で首藤市長に投票したのは有権者の約30%しかいない。内田議員を筆頭に多くの議員が、市民の70%が投票していない、「30%市長」のために、必至になって選挙の応援演説をする。市長と議員たちの癒着関係を示す事例だろう。首藤市長が2期8年の間に、「市民のためではない」自己都合のために築いてきた「実績」と言える。その「実績」を基盤として、またその「象徴」として、議員たちの選挙活動が展開されたのだ。 今回の市長と議員の選挙結託は、突然の現象ではなく表われるべくして表われた氷山の一角である。監視を委ねられた議員が、深層部で市長と癒着しているように映る。

さて、延岡の市政にこうした状況を生み出した元凶は首藤市長の自己中心的な「唯我独尊」的な性格だと思う。2月6日の市長就任式で「これからの環境変化を予測したり、評論するのではなく、主体的に変化に向き合うように」と訓示している。言葉遣いは上品だが、上から目線の傲慢な「心」だ。職員たちに「意見を言ってはならぬ。黙って仕事をせよ」と自分への服従を求めているのだ。上記したように内田議員は「市長が示したベクトルに従うべきだ」と主張しているが、市長の意に沿う考えである。佐藤誠議員は、「まちづくり参加の責任も果たせずに批判や苦言を述べることはお断りだ(ブログH26/1/25)」と述べ、まちづくり参加者以外のマスコミや一般市民の発言を制している。「職員や市民にものを言わせない」市長の驕慢な考えに議員たちが洗脳されてしまっているようだ。

「万機公論に決すべし」。国家の政治は世論に従って決定せよ、という約150年前に公布された5箇条のご誓文の第一条の言葉である。唯我独尊の首藤市長は、この民主主義の原則を無視し、自らの訓示的な発言に職員や市民が従うことを求める。市長の分身のような議員たちが、「その通り」だと同じ側につく。職員や市民が率直にものを言うことができない雰囲気が醸成されている。そんな首藤市長が「市民協働」を標榜し、「まちづくり懇談会」や「移動市長室」などを創設し、「市民の声を市政に反映する」として市民と触れ合う。市民と触れ合うことで、次の選挙を有利にする市政一体型の「選挙運動」である。当選直後、「使命感をもって先頭を走る」と声を弾ませたが、一体どんな使命感なのだろうか。

2月7日、対立候補だった小田忠良氏が、「市長を応援する選挙運動行なった複数の議員の行為は議会基本条例や公職選挙法に抵触する」と指摘。首藤市長に対しては「議員たちを利用し、議会基本条例に違反させて選挙を妨害した」「現職と市議の違反は明らか。選挙の正常化を図りたい」として選挙管理委員会事務所に異議書を提出した。不条理を受け入れ、黙っている選択肢もあったのだろうが、小田氏は本人のモットー「義を見てせざるは勇なきなり」を地で行ったのだろう。
この勇気が、延岡の市政が良くなるための転機になることを期待したい。選挙管理委員会には良心的な判断を求めたい。
 

【延岡市長の問題点】「選挙対策一体型」の市政運営

 投稿者:元延岡市自治公民館長 松下潤治良  投稿日:2013年12月28日(土)11時12分56秒
返信・引用
   自治体の首長は選挙によって決められる。関連して次のような指摘がある。
1.「首長の多くは、その職に精力を投入し仕事をするよりも、次の選挙で再選されることを第一義的に考えて行動しています。肝心の政策・施策に没頭できておりません。これが選挙民主主義の巨大欠陥であります」。
2.「首長が『対話集会』などと称して市民との直接対話を働きかけることが行なわれているが、選挙で選ばれる首長としては当然の対応で、選挙対策の一つであります。ある程度は理解できるが、度が過ぎると選挙民主主義の基本システムを侵しかねない問題を生じるのであります」。

そうは言っても、中には首長としての職務に全身全霊を傾け、成果を挙げる事こそ最善の「選挙対策」だと考える首長もいるだろう。その対極の「選挙ありき」だけの首長もいる。すべての首長は、この両極端のどこかに位置づけられる。 その位置は首長の人間性で決まると思う。首長としての人間性の判断には「巧言令色少なし仁」という格言が役に立つ。自己を良く見せる言葉遣いやバフォーマンスに力を入れる首長は、自己利益のためにそうするのであり、世のため人のために尽くす事を優先する人物ではないと見て間違いない。延岡市の首藤正治市長は、これまでの言動から見て、まさにこの格言の典型であり、上記1.2.の指摘に極めて該当する首長だと実感する。

首藤市長は「市民協働のまちづくり」を市政運営の基盤に置いている。「市・民協働」の「市」と「民」は、「市(行政)」と「市民」を意味し、両者による「まちづくり」が本来の姿である。しかし、延岡市の実態は「市長」と「市民」による「まちづくり」になっている。「市長」は「市民協働」の名の下に「市民」と触れあう。首藤市長創出の「(市民協働の)まちづくり懇談会」は就任以来毎年、各所で行なわれてきた。同じく市長創出の「移動市長室」や「ランチミーティング」、さらには「市長と語る市民の夕べ」、市長による「出前講座」や「講演会」などが新たに設けられた。既存の場としては、各種団体が主催するさまざまな集会・イベント・祭り・激励会や祝賀会などの酒席。婦人部会や高齢者などの集まりがある。敬老会の時期には毎年4日間連続で会場を巡る。「市民協働のまちづくり」の実態は市長による「市民との触れ合い」活動なのだ。

なぜ、首藤市長は「市民との触れ合い」に精力を注ぐのか。次の選挙を見据えているからである。選挙戦では、多くの有権者(市民)と触れあう事が勝利への鉄則である。首藤市長が「市民との触れあい」を伴う「市民協働」を標榜するのは、「市民(有権者)との触れあい」を正当化するための伏線である。「市民協働」を掲げる事によって、「市民との触れあい」活動を憚ることなく市政活動の一環として「際限なく」行える大義名分が成立する。つまり、「市民協働」という言葉を隠れ蓑に「市政一体型の選挙活動」に励む事ができる。要するに、首藤市長の「市民協働のまちづくり」は、延岡市を良くするための手法ではなく、選挙に備える自分の「市政一体型の選挙活動」を正当化する手法なのである。
因みに、首藤市長が力を入れる、広報紙や報道機関を利用した自己宣伝活動も「市政一体型の選挙活動」である。

「市民協働」を掲げる首藤市長は「市民が主役。市民と共に決め、市民と共に進める」とも言う。しかし、75億円の巨大新庁舎建設は市民と共に決めていない。九保大副学長などの側近と決めている。「鮎やな問題」に関しても一般市民は議論に参加していない。市民協働の「まちづくり懇談会」の議事録を見ても、これらの重要施策に関する記述はない。「街灯を設置して欲しい」など、担当職員が市民と協働すべき日常的な話題がほとんどである。まちづくりの根幹となる重要施策の決定に関して、市民は完全に蚊帳の外に置かれている。すなわち、市長は市民とは「協働」していない。
首藤市長の「市民協働」は偽物であり、真の目的は選挙を見据えた「市民教導」や、市民との友好関係の構築にある。

さて、延岡市には首藤市長が創設した、市民団体に補助金を与える「市民まちづくり活動支援事業」という施策がある。最も受給が多かった昨年は、44の市民団体に総額1073万円が与えられた。決定した金額をそれぞれの口座に振り込めば済む話だが、首藤市長はわざわざ「補助金決定通知書の交付式」なるものを創案し、市長自らから44団体の代表1人、1人に証書を手交し握手する。何故こんなセレモニーをやるのだろうか。理由は、交付式で代表たちと顔見知りになり、恩を売れば、選挙時には彼らがメンバーをまとめ、自分への強力な援軍になると計算しているからだろう。
「補助金決定通知書・交付式」。卑なる首藤市長の優れた頭脳から生まれた「市政一体型の選挙活動」の事例である。

そもそも、市長が市民団体に「直接手渡す」補助金は、選挙で候補者が市民に渡す賄賂と同じ働きをする。翌年1月に市長選を控えた平成21年6月の「交付式」で市長は、前年の17団体の2倍にあたる35団体へ補助金を手渡した。  また、申請したほとんどの団体が受給できるのも、この事業の特徴だ。(平成23年は、申請40団体に対し39団体が審査をパスした) 補助金が次の選挙に役立つならば、多くの団体に補助金を手渡したいと思うはずだ。「市民まちづくり活動支援事業」の名の下に補助金をばら蒔く。これもまた、首藤市長らしい「市政一体型の選挙対策」である。

市長と市民が触れあう「市民協働のまちづくり」。それを基盤に構築した「戦略的な市政一体型の選挙活動」。その実行に精力を注ぐ一方で、本心を隠し、「忙しい。忙しい」「市民の皆様のために全身全霊100%の力で頑張っている」と喧伝する首藤市長。「巧言令色少なし仁」の悪質な事例である。首藤市長の視線の先に住民の幸福や地域の発展はあるのだろうか。あるのは次の選挙で勝利し、引き続き市長職の特権を享受する己の姿だろう。だからこそ、「選挙運動一体型の市政運営」に励む。県内の首長は首藤市長の「手法」を真似てはならない。本来は「禁じ手」とすべき卑しい「手法」なのだから。
 

【延岡市長の問題】「広報のべおか」を自己宣伝に使う首藤市長の狡猾

 投稿者:元延岡市自治公民館長 松下潤治良  投稿日:2013年12月19日(木)12時36分48秒
返信・引用
  最も多くの延岡市民が接する刊行物は、市が毎月発行する「広報のべおか」だろう。毎月、すべての家庭に届けられる。それだけに市民全体に与える影響は大きい。従って、その内容は行政都合や権力者(市長など)を利するものではなく、公平で公益性の高いものでなければならない。しかし、延岡市の「広報のべおか」には、市長による市長のための  紙面づくりが存在するように思われて仕方がない。

宮崎県内のすべての広報紙を県立図書館で閲覧できるが、それらの中で延岡市の「広報のべおか」の内容は、他とはかなり異なっている。一つ目は、市の公共事業や市が関与するビッグイベントなどの行政目線の広報記事が多い事。二つ目は、これこそが「広報のべおか」の最大の特徴だが、市長に関する記事や「市長の写真」が多い事である。  因みに、宮崎市・都城市の広報紙に掲載される市長の写真枚数と比べても、延岡市長のそれはダントツに多い。直近3ケ月(9~11月)の調査結果を下表に示す。

写真枚数
延岡市長   21
都城市長    4
宮崎市長    3
表からも分かるとおり、延岡市長の写真掲載枚数は異常に多い。補足すると、広報紙の頁数は延岡市24、都城市32、宮崎市28。広報紙に占める延岡市長の写真掲載の割合は他市に比べさらに大きくなる。また、写真のサイズも他の市長のものに比べて大型だ。
これは決して偶然ではないだろう。延岡市の広報紙の編集には市長の写真を多く入れたいとの意識が他市の場合に比べ強く働いているようだ。一体、誰の意志なのか。

広報紙に延岡市長の写真を多く載せる事で得するのは誰だろうか。延岡市民なのか。市民は市長の写真を見たいのだろうか。そうではないだろう。唯、確実に言えるのは、市長の写真と名前を繰り返し、繰り返し見せられる事によって、市民はサブミナル効果のように無意識のうちに市長の顔と名前を脳裏に刷り込まれ「親近感」を持つという事だ。
選挙運動の要諦は多くの選挙民と接触し、「親近感」を持たせる事である。延岡市長は広報紙を利用した「選挙運動」を広報職員と協働して行なっていると言えるのではないか。「市政に組み込まれた」狡猾・巧妙な選挙対策である。

部下である職員は生殺与奪権を握る市長に精神的に買収され、その意を体する紙面づくりをする。市長は「広報のべおか」の表紙に書かれている「市民力・都市力・地域力が躍動する・・・」の作者でもある。後述するが、自身が作成した「詐称プロジェクト」の偽装された成果を「広報のべおか」に何回も掲載させている。喋りが得意で市のHPにコラムを書くなど、言葉で市民の意識を変えようとする市長が、広報紙の編集に強い影響力を与えているのは間違いないだろう。

さて、市のHPを開くと市長の顔写真の下に「新生のべおかプロジェクト」の標題が見える。このプロジェクトは2期目の市長選が行われた平成22年1月の丁度1年前の平成21年1月に延岡市長が策定・公表したものである。その後、  彼はこのプロジェクトを市民に説明するために、自身の顔写真を入れた多色刷りの豪華なパンフレットを大量に作成。市民に配布し、選挙までの1年間、「市長と語ろう・まちづくり懇談会」と称する市民集会を各地で開き、「プロジェクト」の説明を続けたのである。不思議な事だが、その1年間、プロジェクトの活動は一切なく、市長による説明だけが続いた。
(その状況は5年を経た今も変わらない。プロジェクトの活動はなく、相変わらず市のHPに「内容」が掲載されているだけである)

 さらに不思議な事に、その年の選挙目前の「広報のべおか」(11月・12月号)は、「『新生のべおかプロジェクト』着々と前進、大きな成果を上げてきた」とする記事を各々2頁に亘り特集したのである。活動のない詐称プロジェクトが着々と「成果」を上げている。一体どういうことなのか。成果は「こじつけ」から生まれた。たとえば、市はその年の5月にセンコー・ビジネスサポート(株)と企業立地の調印をしたが、これをプロジェクトで掲げた6つのサブプロジェクト(お題目)の一つ「雇用創出」の成果だと言うのである。職員たちの通常努力の中から生まれたものすべてを、6つのお題目に当てはめ、それらを「プロジェクトの成果」にしたのである。 延岡市長は実体としては選挙マニフェストに過ぎない詐称プロジェクに「こじつけ」の成果を「偽装」し、その特集記事を選挙直前に2回に亘り掲載させた。「私利私欲」の「選挙対策」のために、市民の血税で作られている広報紙を「悪用」し、「詐欺師」のように市民を騙したのだった。

市長の広報紙を悪用した市民騙しは、その後も続く。平成23年2月の「広報のべおか」でも同様に、職員の通常業務の成果を6つのお題目に当てはめ、市長の「プロジェクト」の成果だとする「偽装工作」を発表。だが、その中の「着々進む工業団地事業」「乗り合いタクシーの導入」などは、このプロジェクト発表以前に始まったテーマ。「新清掃工場が稼動」の「新清掃工場」は、このプロジェクト以前に工事が開始されている。職員の業績すべてを首藤市長の「プロジェクトの成果だ」と市民を騙す。翌年4月にも「『新生のべおかプロジェクト』の中心事業が進んでいます」との記事を掲載させた。「広報のべおか」を「私物化」し、「詐称プロジェクト」に「偽装成果」を施して「市長の『成果』だ」と宣伝し、市民を欺き続けている首藤正治・延岡市長。

その延岡市長は冒頭に記したように「広報のべおか」を利用し、自分の顔と名前を売り込み続けているが、自己宣伝はそれだけではない。延岡市長の新聞・テレビへの露出頻度も突出している。市長・職員の協働的な①市長の露出機会の創出②報道機関への働きかけの結果だろう。ウルメいわし日本一に便乗、職員にロゴ入りのシャツを着せ横に立つ。表彰式で中央に座る姿や表敬訪問を受ける姿を報道させる。報道各社は、奸智に長けた首藤正治市長の自己宣伝の戦略に利用・悪用されてはならない。やわらかい物腰、インテリジェンスに富む言葉遣い騙されてはいけないと思う。
 

【延岡市長の問題】投資詐欺を連想させる「新生のべおかプロジェクト」 

 投稿者:元延岡市自治公民館長 松下潤治良  投稿日:2013年10月15日(火)19時47分50秒
返信・引用
  「プロジェクト」といえば、NHKの番組「プロジェクトX」がよく知られている。一言で訳すと「開発事業」という意味になる。プロジェクトを構成する要素は①「通常業務とは別」の特定課題の設定②プロジェクトチームの編成③達成期日の確定④予算の確保-などである。プロジェクトと称するには、これらの要件が満たされていなければならない。
延岡市長が「新生のべおかプロジェクト」を掲げ、その「成果」を広報しているが、このプロジェクトは要件をまったく満たしていない。プロジェクトと証するに値しない作文「プロジェクト」であり、その「成果」もまた「作られた」ものである。

市のHPを開くと市長の「顔写真」の下に「新生のべおかプロジェクト」の表題が見える。そこをクリックすると、再び市長の「顔写真」が現れ、プロジェクトの説明が始まる。背景・構成・概念図・イメージを説明した後、プロジェクト本題の説明に入る。「新生のべおかプロジェクト」の「サブプロジェクト」として、雇用創出、中心市街地、公共交通、地域医療、教育振興、生活環境という6つを掲げているが、これらは市役所の「通常業務」を漏れなく6つに分類しただけのお題目に過ぎない。上記①の要件である具体的な特定課題は設定されていない。 課題が定められていないのだから、それを受ける②③④の要件も存在し得ない。当然、それらに関する説明はなく、平成27度目標、総投資額200億円とだけ書かれている。 以上の事実から、「新生のべおかプロジェクト」が資格要件のないニセモノの「偽装プロジェクト」、あるいは市長による実体のない「作文プロジェクト」だというのは明らかである。補足する事実がもう一つ、このHPに存在する。

ここで、もう一度最初の画面に戻る。市長の「顔写真」の下に、「施政方針 部局長の経営方針(マニフェスト)」の表題がある。ここをクリックすると、市長の「施政方針」が表われる。その中で市長は、「延岡市では平成21年1月に、『新生のべおかプロジェクト』を『策定』しています。・・・各部局長においては『新生のべおかプロジェクト』を『踏まえた』部局長等の経営方針(マニフェスト)を策定しています」と述べている。市長は4年前の平成21年に、プロジェクトを『策定』したと強調するが、肝心の「活動」についてはまったく説明しない。策定した「だけ」なのだから当然のことなのだが。
さて、市長の施政方針の次に「部局長の経営方針」が続く。部長や支所長など、合計14人が経営方針を詳細に記しているが、「新生のべおかプロジェクト」に言及しているのは2名のみ。残り、12名はプロジェクトのプの字も口にしていない。9割の部局長たちが、このプロジェクトに関与していない。部局長を飛ばして課長以下が関与しているのだろうか。

実は誰もプロジェクトに関与していない。職員たちは通常業務は遂行しているが、「新生のべおかプロジェクト」の活動はしていない。従って、プロジェクトの「成果」がないのは当然至極のことである。しかし、人一倍頭の良い首藤市長は、活動実態のない、このプロジェクトから「成果」を生み出す。市長がこの「プロジェクト」を発表したのは、2期目の市長選を1年後に控えた平成21年1月だったが、選挙間近の「広報のべおか」(11月号&12月号)に、市長の顔写真付きで「『新生のべおかプロジェクト』が着々と前進、成果を上げてきた」とする記事を2回に亘り特集させたのである。一体どういうことか。「こじつけ」で「成果」を生み出したのだ。たとえば、市は通常業務の一環として、その年の5月にセンコー・ビジネスサポート(株)と企業立地の調印をしたが、これをプロジェクトが掲げる6つのサブプロジェクト(お題目)の一つ「雇用創出」の成果だと言うのだ。職員たちの通常業務から生まれたすべてを6つのお題目に当てはめ、すべて市長の「プロジェクト」の「成果」だと「こじつけ」たのだ。首藤市長は2期目も同様に「偽装成果」の「広報宣伝」を続けている。

1)平成23年2月の「広報のべおか」でも、上記と同じように、職員の通常業務の成果を6つのお題目に当てはめ、市長の「プロジェクト」の成果だとする「偽装工作」を発表している。その中の「着々進む工業団地事業」「乗り合いタクシーの導入」などは、このプロジェクト発表以前に始まったテーマであり、「新清掃工場が稼動」と言う「新清掃工場」は、このプロジェクト以前に工事が始まっている。ありとあらゆるものを、「首藤市長の戦略的プロジェクトの成果だ」と市民に広報している。同時に市のHPでも同様の広報を行なっている。
2)今年8月12日、名誉市民墓参会が開かれた。参列者を前に、「『新生のべおかプロジェクト』に力を入れている」と挨拶している。天上の名誉市民たちは、首藤市長の欺瞞的な自慢話にあきれ果て、苦笑するしかなかったのではないか。
3)宮日新聞の今年1月9日の記事。首藤市長、「高速道路時代を迎えるに当って、『新生のべおかプロジェクト』を作成し、取り組んできました。これは・・・」。2月27日の記事。「延岡市では『新生のべおかプロジェクト』を作成し、街の魅力向上に取り組んでいる」。2月17日の記事では記者が、「延岡市は東九州の拠点都市を狙い『新生のべおかプロジェクト』を策定。・・・都市力向上に努めるが、・・」と解説している。繰り返すが、このプロジェクトは市長の作文プロジェクト。「プロジェクト」は存在しない。口がうまくて狡猾な首藤市長はマスコミをも欺く。
4)市のHPに「ほっと・トークようこそ市長室へ」という動画サイトがある。市長が今年2、3月に「新生のべおかプロジェクト」の中間報告をしている。6つのサブプロジェクト(お題目)の成果(?)を説明している。延岡市には、旭化成のOB会有志が始めた学校授業「はげまし隊」という活動があり、内外からの評価が高い。首藤市長は市政とは無関係なこの活動を、サブプロジェクト「教育振興」の成果だと堂々とPRしている。職員の業績ばかりでなく、市民の業績までも自分の成果として取り込む。まさに厚顔無恥と言うほかはない。

実体のない「偽装プロジェクト」を立派に見せかけ、その上で「成果」をも偽装し、市民を欺く「首藤市長」の市政運営は、実体のない「偽装会社」を立派に見せかけ、人々を欺く「投資詐欺」を連想させる。「投資詐欺師」は金銭が目的だが、首藤市長は自己評価の高まりと人気取りを、そしてその先に「選挙」を見据えている。両者に共通するのは、本当でないことを本当のように説明をする口のうまさと頭脳の良さであり、それらを駆使して自己利益を求めることだ。一般的に、詐欺師は先ず学歴と身分を立派に見せかけ相手を信用させる。京大出身で市長の首藤正治氏には、その必要はない。すべての人が信用する。そうであれば、なおさら相手の信用に応えなければならない。市長の「詐欺的な心」に職員が染まる。首藤市長は、世のため人のために、全身全霊を尽くすよう心を改め、職員に範を示さなければならない。
                                                    
 

全く同感です

 投稿者:小宅信吾  投稿日:2013年 3月16日(土)23時19分42秒
返信・引用
  定年退職後の生活の構えに全く同感です。

http://pws.prserv.net/jpinet.oyake/

 

ドストエフスキーの貧しき人びとを前進座劇場で公演

 投稿者:maguchiish  投稿日:2012年10月23日(火)08時46分54秒
返信・引用
  残り少ない前進座劇場で、ドストエフスキー原作の舞台が、十月二十八日、十六時から、吉祥寺であります。稽古進行中です。ぜひご覧下さい。1日一回五百席限定です。ご予約お早めにお願いします。お待ちしております。08056501112 山口まで  

TVの地デジ移行が、やっと終わりました

 投稿者: 岩尾勝貞 メール  投稿日:2011年 7月24日(日)14時15分8秒
返信・引用
  1年以上前からテレビの地デジ移行が、TV画面でうるさいほど告知され続けて
おりましたが、今日、7月24日、やっと解放されました。
地デジの実施効果が我々の生活にどの程度プラスがあるのか、よくわかりませんが
ケータイの需要拡大に対応以外にも、一般市民にも地デジに変わってよかったと
実感されるものであってほしいと思います。
 

なでしこジャパンW杯優勝!!

 投稿者: 岩尾勝貞 メール  投稿日:2011年 7月18日(月)07時43分12秒
返信・引用 編集済
  サッカーの女子ワールドカップ決勝で、日本女子代表(なでしこジャパン)は17日(日本時間18日未明)、ドイツで米国代表と対戦し、延長戦を2―2で終えた後のPK戦の末に米国を破り、初優勝を決めた。

 日本は後半35分に宮間(岡山湯郷)が同点ゴール。延長前半に勝ち越されたが、同後半に沢(神戸)が得点。PK戦を3―1で制した。沢はMVPと得点王に輝いた。

 第1回(当時は女子世界選手権)から6大会連続出場の日本は準々決勝で、延長戦の末、FW丸山桂里奈(千葉)の得点で開催国ドイツを破り、初めて準決勝に進んだ。準決勝ではスウェーデンに3―1で快勝して決勝に進み、2008年の北京五輪の4位を上回る快挙となった。

女子サッカーW杯決勝戦を徹夜で観ました。前半戦ではアメリカの迫力ある攻撃に押されていましたが、後半戦で追いつき、PK戦では圧勝しこれまで一生もできなかったアメリカを破り、見事優勝資金メダルを獲得しました。
 

大英博物館 古代ギリシャ展を観て

 投稿者: 岩尾勝貞 メール  投稿日:2011年 7月14日(木)15時51分3秒
返信・引用
  7月11日は猛烈な炎暑の日でしたが、朝日新聞アスパラクラブから貸切観覧の招待状を貰ったので、家内と出かけました。JR上野駅から徒歩3分の便利なロケーションなので、助かりました。
興味のある大理石彫刻を中心に2時間ばかりじっくり観てきました。圧巻は何と云っても
有名な円盤投げのディスコボロス像、ヴィーナス像、ヘラクレス頭部像でした。
 

風の画家・中島潔展を観て

 投稿者: 岩尾勝貞メール  投稿日:2011年 3月28日(月)00時10分36秒
返信・引用
  招待券を貰っていた表記展覧会が、明18日で閉展と聞いて慌てて銀座松屋へ出かけました。日曜日で混み合っていましたが、比較的ゆっくり鑑賞できました。何と云っても圧巻は京都清水寺成就院へ寄進された襖絵「大漁」の鰮群の素晴らしさでした。
帰りは、久しぶりに御幸通りの風月堂でブルーマウンテンを賞味しました。
 

レンタル掲示板
/15